モモです。
最近、人の話を真剣に聴くという機会がありました。
聴くということは、思っていたよりもずーーーーっと難しかった。
「聴く」 って、字の通り、自分の体全部で耳になるってことなんだ
って実感しているところです。
脈絡がないようですが、その後自分は何に対して敏感な人間なんだろう、
という問いが自然に湧き上がってきて、しばらく考えていました。
で、たぶんこれかなぁ、って思ったのが 『死』 についてだったのです。
いきなり、強烈な単語が出て驚かれるかもしれないけれど、
この2年余りのキャンプに同席した人ならば、私が何度かその話題に
触れているのは知っているよね。
何かの本に、『死』 について考えることは、『生き方』について
考えることだって書いてあるのを読んだことがあって、
まさにその通りだと思いました。
もし、大地震が起きたり、突然事故にあったとして、今まさに
自分が死ぬかもしれない、という状況になったら、どう感じますか?
たいていの人は、まだ死にたくない!と思うのではないのでしょうか。
じゃあ、なんで死にたくないのか。
私の場合は、まだやりたいことがあるのに~、心残りだ~
という理由。
でも、いつか死ななければならないのが、人のさだめならば、心残りがないよう
生きればいいんじゃないかって思うようになったのです。
だから、あまり悩まなくなったのかもしれない。
2つの間で、どちらかを選ぶときに、先々の事まで考えすぎてしまうと、
今、必要な事が抜け落ちてしまう。
先の事を考えないというわけではないけど、今を犠牲にして先の事を優先したら
「明日、死んじゃうかもしれない私」 はきっと死ぬとき心残りだろうしね。
こういう風に考えるきっかけになった映画があります。
もう10年以上前のイラン映画、『桜桃の味』
たまたま試写会の券が当たって、友人と観に行きました。
見方によっては、とても単調で退屈な映画。
主人公の自殺志望の男性が、砂漠の丘のような所を、自殺を手伝って
くれる人を探し求めて、ひたすら車で走る映像が続きます。
出会う相手との会話がメインで、景色もあまり変化がなく、
一緒に観に行った友人は途中から爆睡。。。
でも私は、その映像から目を離すことができなかった。
とは言っても、ストーリーを全て覚えているわけではないのです。
ただ、あるセリフが心に焼きついて離れなくなりました。
もしかしたら、少し違って覚えてるかもしれないけど、
主人公が出会ったある老人から言われた言葉。
「世界は幸せな心で見れば、幸せに見えてくるんだよ」
同じ景色を見ていても、自分が幸せな気分の時と、落ちこんでいる時では
たしかに違って見える。
それに、おいしいものを食べる時だって、好きな仲間と一緒に
食べるほうが、そうでないときよりも数倍おいしく感じるものね。
あたりまえのことだけど、忘れがちなことでもある。
でも、これならちょっと意識するだけで、できるなって。
どうせ、限られた時間を生きるのなら、幸せな気持ちで毎日を
過ごしましょうって、思えたのです。
そうしたら、『死』 を前向きに考えることができるようになった。
そして、生きることが楽しくなった。
そして、今、この学びや仲間に出会い、さらに楽しいことが増えた。
今、とっても幸せな循環にはまってます