ポチ
です。
本当にみんなのお陰で、心がとても安定してきました。本当に感謝です。ありがとう
何も状況は変わらないのに、ここまで心理状態→世界が変わってしまうのか、、恐ろしい。。。
もう少し整理が出来たら、この顛末から自分が考えたことをシェアさせてくださいませ。
さて、今日は「またポチはくらだんことを。。。」かもしれませんが
ご迷惑でなければ皆さんの声を聴かせて頂きたくて質問なのです。
-みなさん、パソコンは何をどういった理由で選びましたか?-
実は、どうもわが家のMacintoshはどうもここのところ調子がいまいちで
どうやらご臨終が近くなってきたのでは、、という感じなので
買い換えようと思います。
そして、ここへ来て、さあ何を?というところで立ち止まってしまいました。
私の中のMacintoshを愛する(?)偏愛の存在に気づき、この異常心理をいったんは手放して
新地から選択することにトライしてみたいと思ったのです。
別にPCなんて好きなモノ買えばいいじゃん、ただそれだけなのですが
世の中これだけWindowsが主流で昨年もMacであるがために
授業資料の受け取りに迷惑、苦悩をかけたり自分も不自由を感じたはずなのです。
それにもかかわらず、いざとなったら理屈を越えた何か執着がありで
「Macから離れがたい」自分がいたのに気づき、
きっとこれはMacに限らず、私の中にある偏愛の性向なのだ、ちょっと越えたい。
その上でWindowsを選ぶなり、Macをやっぱりと選ぶなりしないと
まともなまともな決断力というのはいつまでたっても身に付かないと思いました。
私のMacへの偏愛。理性的になろうとするとホントに変なんです。
この心理。基本的にPCなんてさして興味ないはずなのに、いざMacじゃないものを、、と
思うと、まるで愛しい恋人か我が子から引き裂かれるかのように、「抵抗」を感じるのです。
この抵抗感。なんだろう?
馬鹿馬鹿しくて、笑われるのを通りこして、不快感すら感じる人もいると思うのですが
それを恐れつつも正直にいうと、、まるで京落ちするような気分があるのに自分でも唖然としたのです。
少数民族の選民思想のようなものが私の中に巣くっているのだろうか。
(そう、気づけばいつもわたしはマイノリティが好きだった。。もともとは寄らば大樹の陰という
他力本願を絵に描いたようなわたしなのに。。)
たとえて言えば、「神戸に住んでいたのに、もっと便利な大阪に住む」のがなーんか嫌
(ごめんなさい。大阪の人、、そうなの、、わたし神戸生まれです。)みたいな。。
少数派としていることに何か至極あほらしいとも言えるアイデンティティを見いだしているのだろうか。しかも、さして興味もないはずのPCにおいて。。。
出会いは機械オンチで全く興味の無かった私。
会社のPCもできるだけ触りたくない、家のPCもこんなものなんで家にあるんだ、邪魔なだけ。
PCとはまるで粗大ゴミのように思っていたそういう存在だったのですが、
ボランティア団体にいた頃「そこでの仕事に必要だ。教えてやるから買え!」と
後に夫になった彼その他周辺に騙され、自分用にPCを仕方なく買うことにしました。
そこで、夫よりもっともPCに詳しく、もっと優しい(共通の友人の)O君のお薦めということから
小さいデスクトップのMacを買ったのがわたしのMacとの出会いでした。
そして初めてMacをさわって「なんて、この子お利口なんでしょう!!」うちや会社にある
粗大ゴミとはてんで違う!いってみれば秀才と天才の違いね!これならわたしも触れるわ。
と、、、、そんな出会いでした。
しかし時代はながれ、あれからもう15年以上。機械も何度も変わり、3台あったPCも一台で充分となり
当然といえば当然Macである意味は会社で当然Windowsを使う夫にとっても、
当時薦めてくれたO君にとっても随分前から殆どないというものになっています。
別にわたしとしてもMacでなければ、と主張したことは一度もないけどなんとなくずっとMacで来て、、
私、わが家のMacの使い方はどうしてもMacにこだわる人たちのようにデザインするとか音楽を、、とかそういうこととは今のところ全然無縁なので、Macでなければならない必然性のようなものは本来ないのです。ワードとエクセルとメール、インターネット、これだけならMacである必然性はほとんど無いそうです。
そこで、、皆さんに「どういう基準でPCを選んだか。」ひいては「Windowsのここがいい!」「Macのここがダメ!」、忙しくて付き合いきれない方には遠慮無くすっとばしていただくとして
もし、何か思うところあれば是非聴かせて頂きたく。
ディベイトよろしく、Macのよいところは多分聴いてきたわたしだけど反対意見を聞かずして選ぶのはやはり正しい選択はできないと思うのです。
ちなみに全然関係ないようだけど、下の娘の卵アレルギー、呼吸器の弱さ、この1年でほとんど気にならないほどまでに改善したように見受けられます。(病院で検査したわけじゃないから正確なところはわからないけど)こころなしかとても丈夫に、健康になったような気がするのです。どうも「シュタイナー」を手放したことがとても大きかったのではないかと私は思っています。。
執着は病。。

本当にみんなのお陰で、心がとても安定してきました。本当に感謝です。ありがとう

何も状況は変わらないのに、ここまで心理状態→世界が変わってしまうのか、、恐ろしい。。。
もう少し整理が出来たら、この顛末から自分が考えたことをシェアさせてくださいませ。
さて、今日は「またポチはくらだんことを。。。」かもしれませんが
ご迷惑でなければ皆さんの声を聴かせて頂きたくて質問なのです。
-みなさん、パソコンは何をどういった理由で選びましたか?-
実は、どうもわが家のMacintoshはどうもここのところ調子がいまいちで
どうやらご臨終が近くなってきたのでは、、という感じなので
買い換えようと思います。
そして、ここへ来て、さあ何を?というところで立ち止まってしまいました。
私の中のMacintoshを愛する(?)偏愛の存在に気づき、この異常心理をいったんは手放して
新地から選択することにトライしてみたいと思ったのです。
別にPCなんて好きなモノ買えばいいじゃん、ただそれだけなのですが
世の中これだけWindowsが主流で昨年もMacであるがために
授業資料の受け取りに迷惑、苦悩をかけたり自分も不自由を感じたはずなのです。
それにもかかわらず、いざとなったら理屈を越えた何か執着がありで
「Macから離れがたい」自分がいたのに気づき、
きっとこれはMacに限らず、私の中にある偏愛の性向なのだ、ちょっと越えたい。
その上でWindowsを選ぶなり、Macをやっぱりと選ぶなりしないと
まともなまともな決断力というのはいつまでたっても身に付かないと思いました。
私のMacへの偏愛。理性的になろうとするとホントに変なんです。
この心理。基本的にPCなんてさして興味ないはずなのに、いざMacじゃないものを、、と
思うと、まるで愛しい恋人か我が子から引き裂かれるかのように、「抵抗」を感じるのです。
この抵抗感。なんだろう?
馬鹿馬鹿しくて、笑われるのを通りこして、不快感すら感じる人もいると思うのですが
それを恐れつつも正直にいうと、、まるで京落ちするような気分があるのに自分でも唖然としたのです。
少数民族の選民思想のようなものが私の中に巣くっているのだろうか。
(そう、気づけばいつもわたしはマイノリティが好きだった。。もともとは寄らば大樹の陰という
他力本願を絵に描いたようなわたしなのに。。)
たとえて言えば、「神戸に住んでいたのに、もっと便利な大阪に住む」のがなーんか嫌
(ごめんなさい。大阪の人、、そうなの、、わたし神戸生まれです。)みたいな。。
少数派としていることに何か至極あほらしいとも言えるアイデンティティを見いだしているのだろうか。しかも、さして興味もないはずのPCにおいて。。。
出会いは機械オンチで全く興味の無かった私。
会社のPCもできるだけ触りたくない、家のPCもこんなものなんで家にあるんだ、邪魔なだけ。
PCとはまるで粗大ゴミのように思っていたそういう存在だったのですが、
ボランティア団体にいた頃「そこでの仕事に必要だ。教えてやるから買え!」と
後に夫になった彼その他周辺に騙され、自分用にPCを仕方なく買うことにしました。
そこで、夫よりもっともPCに詳しく、もっと優しい(共通の友人の)O君のお薦めということから
小さいデスクトップのMacを買ったのがわたしのMacとの出会いでした。
そして初めてMacをさわって「なんて、この子お利口なんでしょう!!」うちや会社にある
粗大ゴミとはてんで違う!いってみれば秀才と天才の違いね!これならわたしも触れるわ。
と、、、、そんな出会いでした。
しかし時代はながれ、あれからもう15年以上。機械も何度も変わり、3台あったPCも一台で充分となり
当然といえば当然Macである意味は会社で当然Windowsを使う夫にとっても、
当時薦めてくれたO君にとっても随分前から殆どないというものになっています。
別にわたしとしてもMacでなければ、と主張したことは一度もないけどなんとなくずっとMacで来て、、
私、わが家のMacの使い方はどうしてもMacにこだわる人たちのようにデザインするとか音楽を、、とかそういうこととは今のところ全然無縁なので、Macでなければならない必然性のようなものは本来ないのです。ワードとエクセルとメール、インターネット、これだけならMacである必然性はほとんど無いそうです。
そこで、、皆さんに「どういう基準でPCを選んだか。」ひいては「Windowsのここがいい!」「Macのここがダメ!」、忙しくて付き合いきれない方には遠慮無くすっとばしていただくとして
もし、何か思うところあれば是非聴かせて頂きたく。
ディベイトよろしく、Macのよいところは多分聴いてきたわたしだけど反対意見を聞かずして選ぶのはやはり正しい選択はできないと思うのです。
ちなみに全然関係ないようだけど、下の娘の卵アレルギー、呼吸器の弱さ、この1年でほとんど気にならないほどまでに改善したように見受けられます。(病院で検査したわけじゃないから正確なところはわからないけど)こころなしかとても丈夫に、健康になったような気がするのです。どうも「シュタイナー」を手放したことがとても大きかったのではないかと私は思っています。。
執着は病。。