モモです。
ポチの記事を読んで、私だったらどうするかなって考えた。
でも、私の場合は結婚も子育てもしていないから、あくまで仮定の話になってしまう。
そして皆も書いていたけど、自分にとって一番身近な母親のことを思った。
女性にとって、自分の生き方の指標になるのは、何をおいても母という存在。
影響を受けずにはいられない大きな存在だよね。
私の場合、6人兄弟の5番目という特殊な状況だったので、
母から “育てられた” という感覚が希薄で、あまり「ああしなさい、こうしなさい」
と言われた記憶はありません。
ただ、高校2年で進路を決めるときに、とても強い口調でこう告げられたのは
印象に残っています。
「女は、いつ一人になっても生きていけるように、何でもいいから資格を取れる学校へ行きなさい。
そうでなければ、学費は出しません。(キッパリ)」 と。
まだ社会人になる覚悟がなかった私は、そう言われて渋々薬学部という進路を
選ぶことになったのです。
今になってみれば、私にとってそれは最良の選択だったのですが、
特に薬剤師になりたかったわけでもない私は、大学は資格を取るためだけに通う
というふてくされた学生でした。
結果、仕事にあぶれることもなく、その職業を通して今の学びの道に到達できたので
こうして導いてもらったことにはとても感謝しています。
そして、母のこの強~い助言の影には、色々な理由があったことを、
それから何年もたって知りました。
母は、短大を卒業してすぐ専業主婦になったので、社会に出て働いたことは
なかったのですが、末っ子が小学校にあがってすぐ、洋裁の仕事を始めました。
一日家を空けるのは父が嫌がるので、仕事とはいっても半分以上は自宅で
内職の形でした。
時給制のパートとは違い、出来高制なので、毎日夜なべ仕事をしても、収入は
ごくわずかだったようです。
それでも、母がその仕事を続けていたのは『好きなこと』だからだそうです。
確かに、寝る時間がなくて「辛い」とこぼすことが多かったけれども、
きれいなシルクの布地を縫いながら、「この布は本当にいいわぁ」、と幸せそうに
つぶやいていたこともありました。
私が高校2年のときに、父が癌を患い、仕事を辞めざるをえなくなりました。
父が仕事を辞めたのに、私が大学へ行けるの?と聞いたとき、退職金や貯金が
あるから大丈夫。と言われて素直に信じた私でしたが
それから、20年以上経って、つい数年前、何かの会話の中で、私の学費が
母のバイト料から全て賄われていた事を知りました。
私大の薬学部の学費はそれなりに高額だったので、母の収入のほぼ4年分は
全てそれに費やされていたわけです。
それを知ったときは、本当にビックリしました。
もちろん、感謝の気持ちもあったけれど、それ以上に『母は強いなぁ』 と。
自分の遊びや服や旅行などには、一切お金を使わずにひたすら働いていた母。
今、子供が育ち、夫や母親の介護も終り、自由を満喫するとともに、身勝手さを
増して、少々腹の立つこともありますが、それでもどこかで「しょうがないなぁ」って
許せるのは、ここに至る母の苦労を知っているからなんでしょうね。
私自身、母親という立場を経験したことはないけれど、もし子供がいて仕事もして
という状況になったら、それをやりこなせる自信はありません。
でも、母という立場になったらまた違うのかな、とか「生きていく」ためにそうせざるを
えない状況になれば、自然とスイッチが入るのだろうと思ったりもします。