アスペルガー症候群、自閉症等々、これらは人によって様々なバリエーションがあります。

考えてみれば、私はこれらの症状を、暗黙のうちに精神症状を持つ「治療対象」としか見ていなかったな、

と思いますが、それ以上に、今回、自分自身の「固定観念」というものを強く自覚させられる本を読みました。


ニキ・リンコ, 藤家 寛子 (著) 『自閉っ子、こういう風にできてます!』


私は何もここで、こういう人達をちゃんと理解してあげましょうなんてオコガマシイことを言いたいわけでも、

これらは個性だと思いましょう、なんて、彼らの親の血のにじむような苦労を度外視してカッコ良い感想を

述べたいわけでもないんです。



通常は言葉を繰ることが難しい自閉の人達の中にあって、著者のニキ(仮名)さんは、
並の人よりはるかに突出した才能をお持ちで、翻訳者として仕事をしておられる方です。


これまで、私は自閉症等々は精神構造に問題があり、コミュニケーション能力に問題あり

という風に漠然と考えていました。


ところがどっこい。この本を読んでびっくり。

彼らは毎日毎日生きるのが精一杯な身体機能の問題を抱えてて

コミュニケーションどころじゃない、必死で生きていたのだということを知りました。


例えば、雨の日に傘をさしていると、どこまでが自分の手かわからなくなる。

自分の手が認識できなくなる。


スカートをはくと歩くのが大変。あるいは歩けない。
なぜならば、彼らにとって見えないモノはナイのだ。

スカートに隠れて自分の足が見えないから。
足がナイから歩けなくなるのだ。

コタツから出る時、立てないのだ。
自分の足とかコタツの足とか見えないから。

いちいち、コタツ布団をめくって確認しないとダメなのだ。

ベッドから起きあがる時も、自分の身体を一つずつ思いださなければならない。

そうしないと起きれないのだ。


一つ一つ思い出さなければならない。自分の身体の各パーツを。

まずは、ベッドに当たっている背中を思い出す…。
…なんてことから始まる長々とした自作マニュアルがとても重宝してるらしい。



聴覚は、音を全部拾ってしまうから、ものすごい騒音の中で生きている。
救急車とか通ると普通の人が何も聞こえないくらい前から耳が痛い。

触覚が敏感すぎて、雨が傘の合間から肌に当たると

毛穴に何本も針を刺したように痛い。
風が痛い。


嗅覚が鋭すぎて、東京の街中はどこでも食べ物の臭いで気持ち悪い。

ご飯の炊ける匂いは、例えば今日はいつもより1回少なめにお米を研いだんだなとわかってしまう。


とにかく、通常、私たちが無意識にやってしまっている大前提が、というか、
見えてる、聞こえてる、という大前提からして、全く違う。



こう見えてるはず…
こう聞こえてるはず…
こう感じているはず…

こう思ってくれるはず…

だったら、こうしてくれるはず…むかっ


全部、はず・れ…うんち



私らがいかに多くの共通の思い込みを前提に生きているのか、ということをまざまざと思い知らされた。



私の「はず」は、一体どれだけたくさんあったのか、

自分が無自覚に人に押し付けていた自分の「はず」で

どれだけ多くの期待はず・れの責任を人になすりつけてきたのか・・・



はず・かしながら、

これまでの自分の妄想的「はず」をしばし振り返らずにはおれなかったよ~ダウン



「治療対象」は自分じゃん・・・(  ̄っ ̄)