ポチです。
まだ、出会ったことがないという本当の自分って何者だろう。
ここのところ、かれこれ6~7年以上前に買って、随分捨てた本の例外として手元に置いてある
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(著:エックハルト・トール)(だったけ、今手元になくていい加減だけど)を
昨年知りあったお姉様との共通の話題として思い出したところから
本棚から引っ張り出し、ぱらぱらめくっていた。
読んでいると、気持ちが落ち着いてくる有り難い本。
そこでも「本当の自分」という単語が出てくる。
思えば昨年1年通して、ずっとある一件について怒っていた自分がいた。
もう、済んだことだ、忘れて明るい方向をみて歩こうと、折に触れて何度も思いながら
一方、自分の中で気が付くと、これもまた何度も蒸し返して、自分の正当性を確認しようと反芻し
なかなか怒りを手放せないでいた自分がいた。
偶然だろうか、テストでNとSの比較論でSについて書いていたとき、
(上記の怒りの状態は、わたしとしてはとてもSチックだという理解でいました)
当の怒りの相手から実にどれくらいぶりだろう、思いがけない電話がかかってきた。
「なぜ自分たちからポチは離れていったのか、その理由が聞きたい」と。
「何故?」その理由は離れるときにもちゃんと述べてきたし、
それ以降にいたってもいわずもがなのことという認識でいた自分としては
それをあえて電話をしてきた相手と自分の認識の違いをいまさらながら改めて確認した。
そして「今、それどころじゃないんだけど。。。どうしよう。。」と思いながら
結局「今を逃したら自分のやり場の無かった思いを伝えられない。開放できない」と
ずいぶんな長電話になった。
どうにも開放できなかった怒りを、ときに涙声になりながらやっとぶつけつつも、
最後は一応笑いながらお互い受話器を切った。
思えばずっと言う機会すら与えられず、じっと我慢していたことを伝えられたのだから大変な一歩だ。
しかし、それでもその後もしばらくわたしはその一件の理不尽さにしつこく怒りを反芻していた。
その後、それとは全然関係ないことで、自分の置かれている状況に対する認識が変わったとき、
あれほどしつこく怒り続けていた「自分」が、それどころではなくなったということか
どこかへ消えていた。
そしてしつこく怒り続けて、そこに無意識にエネルギーを注いできた、愚かな自分の1年を思った。
本当に、なんと愚かだったのでしょう。
本当の自分に出会えるのは、まだ先になりそうです。
でも、あの「自分」は幻だった。
あの自分にとらわれそうな瞬間に気づきながら、そちらに囚われていった自分を見ていた
もう一人の自分。
そのことに気づいた自分が、本当の一歩を歩めますように。。。
ぐらぐら揺れながら、そんなことを思う今日この頃です。

まだ、出会ったことがないという本当の自分って何者だろう。
ここのところ、かれこれ6~7年以上前に買って、随分捨てた本の例外として手元に置いてある
「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」(著:エックハルト・トール)(だったけ、今手元になくていい加減だけど)を
昨年知りあったお姉様との共通の話題として思い出したところから
本棚から引っ張り出し、ぱらぱらめくっていた。
読んでいると、気持ちが落ち着いてくる有り難い本。
そこでも「本当の自分」という単語が出てくる。
思えば昨年1年通して、ずっとある一件について怒っていた自分がいた。
もう、済んだことだ、忘れて明るい方向をみて歩こうと、折に触れて何度も思いながら
一方、自分の中で気が付くと、これもまた何度も蒸し返して、自分の正当性を確認しようと反芻し
なかなか怒りを手放せないでいた自分がいた。
偶然だろうか、テストでNとSの比較論でSについて書いていたとき、
(上記の怒りの状態は、わたしとしてはとてもSチックだという理解でいました)
当の怒りの相手から実にどれくらいぶりだろう、思いがけない電話がかかってきた。
「なぜ自分たちからポチは離れていったのか、その理由が聞きたい」と。
「何故?」その理由は離れるときにもちゃんと述べてきたし、
それ以降にいたってもいわずもがなのことという認識でいた自分としては
それをあえて電話をしてきた相手と自分の認識の違いをいまさらながら改めて確認した。
そして「今、それどころじゃないんだけど。。。どうしよう。。」と思いながら
結局「今を逃したら自分のやり場の無かった思いを伝えられない。開放できない」と
ずいぶんな長電話になった。
どうにも開放できなかった怒りを、ときに涙声になりながらやっとぶつけつつも、
最後は一応笑いながらお互い受話器を切った。
思えばずっと言う機会すら与えられず、じっと我慢していたことを伝えられたのだから大変な一歩だ。
しかし、それでもその後もしばらくわたしはその一件の理不尽さにしつこく怒りを反芻していた。
その後、それとは全然関係ないことで、自分の置かれている状況に対する認識が変わったとき、
あれほどしつこく怒り続けていた「自分」が、それどころではなくなったということか
どこかへ消えていた。
そしてしつこく怒り続けて、そこに無意識にエネルギーを注いできた、愚かな自分の1年を思った。
本当に、なんと愚かだったのでしょう。
本当の自分に出会えるのは、まだ先になりそうです。
でも、あの「自分」は幻だった。
あの自分にとらわれそうな瞬間に気づきながら、そちらに囚われていった自分を見ていた
もう一人の自分。
そのことに気づいた自分が、本当の一歩を歩めますように。。。
ぐらぐら揺れながら、そんなことを思う今日この頃です。