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船橋の片平巧選手オートレース大好き 行け!差せ!まくれ!-auth_foma.gif
 
オート界の貴公子
片平選手のファンは多い
安定したきれいな走り
強引に突っ込む事なく
すんなりと抜く姿
本当にすごい選手
 
その片平選手の伝説の
レースがある
 
 
 
第11回スーパースター王座決定戦
 
驚異の7人抜き
 
その日
川口のスタンドに詰め掛けた
約2万人のファン
1997年1月29日
 
デビュー12年目の
この年までに
すでに8つの
SGタイトルを獲得
このスーパースター戦は
2連覇中で
ファンは3連覇を疑わなかった
しかし
思わぬ伏兵が隠れていた
インフルエンザウィルス
 
前日まで38度を超える高熱で
4度の点滴を
繰り返しながら
予選を勝ち上がって来たが
体調は絶不調だった
 
レース展開は
唯一10mハンデを
背負ってスタートした
抜群の捌きで
周回ごとに
アレヨアレヨという間に
着実に順位を上げ
4周回で3番手に上がると
6周回ホームストレッチで
阿久津正夫選手と
岩田行雄選手をかわして
早くも先頭に踊り出る
ブッチギリの独走かと
思われたが
2着の中村政信選手の
猛追を受けながらも
辛くも逃げ切って
中村政信選手と
同期のワンツーフィニッシュ
 
前年に
島田信廣選手が記録していた
コースレコードを更新
 
この翌年
第12回スーパースター戦にも
勝って4連覇を達成
 
SGという大舞台で
驚異の7人抜きを成し遂げた
この一戦は
絶頂期の天才・片平巧の強さと
オートレースの面白さを
あらためて印象づけたレース
 
 
スーパースター王座決定戦
KERINグランプリの成功に習い
オートレース界でも
一発勝負で
年間王者を決めるレースとして
1987年3月に
川口オートレース場で
第1回大会を開催
1994年の
第8回大会までは
日本選手権
オールスター
の勝者に
各地区競走得点第1位者6名を
加えた8名での一発勝負で争われた
1995年より
従来の2つのSG大会と
各地区1位に加え
全日本選抜と
前年の当大会の覇者(SG優勝者が地区1位と重複の場合は地区2位選手)
16名によって
争われる方式に改正
2001年からは
SG優勝戦ポイントを導入し
当大会を除く
4SG優勝者に
SG優勝戦ポイント上位4名で
争われる一発勝負に戻ったが
2004年12月
各地区第1位選手を加えた
16名による
トライアル戦を実施
開催時期も
翌年1~2月から
当年年末の12月開催となった
 
 
レース回顧~片平巧
このレースのことは
なんとなく覚えています
番組を最初に見たときは
嬉しかったですね
SG優勝戦で
自分一人ハンデを
背負って走るというのは
評価されたってことですから
嬉しかったことを覚えています
この頃
インフルエンザだったんですよね
最終日に熱は下がったんですが
優勝戦では病み上がりで
まだ体調が良くなかったんで
1周目から必死になって
先頭に立とうということだけで
ほかには何も考えてなかったですね
それでトップに出た後に
ちょっと休んだんですよ
そしたら
政信が追い付いてきて
ヤバい、ヤバいって
慌ててアクセル開け直したんです
その話をレースの後に
政信としたのを覚えています
この当時はSGだけを
追いかけているような
感じだったんで
体調が悪くても
どうやって勝つかって考えてました
とくにこのタイトルは
島田信廣選手が5連覇されてたんで
そのことも多少は意識していて
負けたくなきという気持ちが
あったのかもしれませんね
7人抜きですか
そうですね
たまたまっていうか
偶然っていうか
自分のピークの時ですよね
まだ年齢も若かったし
集中力がありましたね
 
 
 
片平選手が全盛期の頃
よく体調を壊してた記憶が
あります
体調が悪いのに
いつも1着ゴールでした
すごい精神力だなって
だから
今でも
片平選手の出場するレースの時は
ついつい無理しないでって
言っている私がいます
片平選手も
今年で45歳
当時の島田選手くらいかな
まだまだ
活躍する姿見たいですね