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1~大井オートレース場フラッグ
2~下見所に整列した選手たち
柳井オートレース



かつて東京や大阪といった
大都市にも
オートレース場があった
昭和25年の船橋オート開設から
20年代後半
現在のものを除いて
全国5都市でレース場が開設
人気の低迷やレース場をめぐる
社会環境の変化
さらに自然災害などの
原因で廃止または移動


☆日本初の舗装走路をもつ
本格レース場
大井(現東京都大田区)
昭和29年11月
先行していた船橋と川口が
軌道に乗ったのを見て
東京都は大田区の埋め立て地にある
大井競馬場に隣接して
オート場を開設
競馬走路から独立した
周長500メートルの
日本初のセミバンク式完全舗装コースが誕生
東京都区内という地の利と
舗装走路のスピード感で
多くの入場者を集め
昭和34年~42年までの
8年間は売上高全国一
しかし昭和42年に
公営ギャンブル廃止を公約して
当選した
美濃部達吉都知事の登場を伴い
廃止決定
昭和48年3月22日の
第10レースを最後に
東京におけるオートレースの
歴史は幕を閉じた

☆サッカーW杯会場に
あったレース場
長居(現大阪市東住吉区)昭和26年11月
当時隆盛だった
ダイハツなどの
小型車メーカーが核となった
競走会が
後に
2002年
サッカーW杯の会場となる
長居公園の敷地内にあった
長居競馬場に併設して
大阪中央オートレース場としてオープン
隣接な競輪場とともに
公営3競技の
相乗効果を期待されたが
フタを開ければ
予想外に人気が低迷
さらに
レース場の騒音に対する苦情から
隣接の小学校父兄による
反対運動も起こり
結局27年4月までの
計16日の開催という
短命に終わった

☆兵庫県内にあった
2つのオートレース場
園田(現兵庫県尼崎市)
甲子園(現兵庫県西宮市)
園田オートは
昭和26年10月
全国で最初に
小型自動車競走会の認可を受けた
兵庫県が
尼崎市の園田競馬場の1000メートルの
本馬場をそのまま走路として併設した
関西地区第一号のレース場
しかし
開設当初からの
極度の売上不振で
翌昭和27年2月で休止
これと入れ替わりに
昭和28年1月
すでに
競輪場として
好調なスタートを切っていた
兵庫県西宮市の
甲子園競輪(平成14年3月廃止)を
併用して
350メートルの短走路の
甲子園オートがオープン
競輪からのファンの呼び込みを図ったが
当時県内に4場あった
全盛期の競輪に
対抗できず低迷
昭和29年廃止

☆大型台風に
飲み込まれたレース場
柳井(現山口県柳井市)
昭和26年11月
旧柳井競馬場跡地に
開設されたオート場
JR山陽本線柳井港駅から
1.5キロメートルでありながら
周囲を海や工場
田園や空地などに
囲まれた好立地
オープン当初から
入場者数、売上とも低迷
さらに
昭和30年9月の
台風22号で
走路は水没
施設も全壊するなどの
壊滅的打撃を受けた
その後復興するが
業績の低迷に加え
隣接工場の増設や
道路計画などもあって
昭和32年10月を最後に休止
同県内の山陽オートに移転

どうも
関西には
オートは
根付かないようです
園田も甲子園も
私が現在住んでいる所から
2駅で
かなり近場です
関西にないのが
本当に残念