昨年祖父が亡くなり、今日100箇日法要が済みました。

100箇日は卒哭忌というらしいです。

声をあげて泣く=哭ことからの卒業。

嘆き悲しむことから脱け出し区切りをつけ、それぞれの日常へ戻っていく。


嘆き悲しんではないし、仕事して食べて寝て日常生活送ってる。

祖母はまだまだ元気だし両親も兄も親戚もいて

楽しい会話の時はちゃんと笑ってるけど

踏ん切りがつかない。

毎日祖父の事考えてるわけではないけど

ふとした時に思い出しては考える。


ふとした時だから、少しずつ忘れていってるんじゃないかってことに罪悪感がある。

私が元気に過ごしてたら、きっとそれが祖父にとっていい事だとはわかっているつもりだし

実家に帰る度に、祖母が

「帰って来てくれたけん、じぃちゃんが喜んでるよ」って言ってくれるけど。


3回忌とかになったら踏ん切りもつくのかな。


祖父が大好きだったいちご。