東京の桜はいつもより遅くて
今年はちょうど入学式を彩る開花となりました。
全国的にいつもと違う時期になり
予定もたてづらいかとも思いますが、
ほんの少しの時期を逃さず鑑賞できたら、と思います。
お花見に出かけてみてはいかがでしょうか。
拙著よりの引用です。
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「母親偏差値(二)」 第四章 季節・行事 より
世の中に たえて桜のなかりせば春の心は のどけからまし (在原業平)
いにしえより 幾万と詠われてきた桜。和歌という形で、その折々の心が残されています。日本人の心に根づく花、桜。
今の日本では、多くの学校や会社が年度括りで、その終わりは三月。始まりは四月。別れの季節と出会いの季節と。その時期にちょうど咲くのが「桜」です。日本で暮らす誰もが過ごして来た、「卒業式」・「入学式」に、「桜」が想い出を添えるのです。
美しい時期が短いということも、印象を深くする理由の一つ。寒い間、咲くことを待ち、待ち、待ち、暖かくなったかと思うとすぐに、パッと一斉に開きます。そして、ハラハラハラと散っていくのです。
「この世の中に、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちで過ごせるだろうに」
桜を詠んだ歌は数知れません。日本人がいかに桜を愛でてきたかうかがい知ることができます。「桜を見る」には、単にその言葉通りの意味以外に、こどもに伝えたいことがいっぱい含まれています。「日本の心」「わびさび」「はかなさ」「希望」…言葉にしたら、こんな抽象的なことでしょうか。それが何かと問われても、言葉で説明することは難しい。幼き頃より「お花見」を通して、徐々に感じていくことのできる「何か」。そのようなベースなくして、ある日ふと、国語の授業で和歌の心を理解しろというのも無理な話です。意味が頭でわかっても、本当の理解には遠いのです。最も大切なのは「心」で理解できることです。それは、「勉強」の中のことではなく、普段からその人の心に持つ「豊かさ」にも通じているものなのです。
身長や体重は計測によって具体的にわかるので、見た目の、肉体の成長というものは、数値によりたいへんわかりやすく知らされます。しかし、心の成長というものは見えづらい。判断基準が明確でないので、親の目にもよくわからないのです。これは、一朝一夕に得られるものではないことも明らか。最も重要なのは、幼き頃からの蓄積。そして、それを積み重ねていってあげられるのは、親なのです。
さてさて、お花見は、いつにしましょうか。一年のうちの僅か一週間ほどを看過してしまうか、あるいは花を愛でて過ごすかで、新年度の充実ぶりが変わってくると言っても過言ではないかもしれません。希望に満ちた季節。
春の光の降り注ぐ桜の木の下の公園のベンチで。こどもとゆっくりとした時間を過ごす…それで十分です。おにぎりとお茶があったらなお楽しい。お団子もいい。お友達を誘って賑やかなのも。一度と言わず何パターンかで過ごします。
強風の日が続いたり雨予報ばかりだったり気が急くけれども、気持ちはゆったりと時間をゆっくりと、風の匂いを感じて、小鳥の囀りを耳に残して。毎年、お花見を。こどもたちに桜の宴を。
桜の下に敷物敷いて、空を仰いで桜を眺めて。
何も知らない赤ちゃんが大人になるまでの間にいくつの「桜」が心に染みていくのでしょう。
雨に降られる桜もまた
風情があって。
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