ある日、創造主はふと立ち止まる。
もしかしたら、自分は最初から溺れてなどいなかったのではないか。。
胸の奥で、長く鳴り続けていた警報のようなものが、少しだけ静まった。
もしかしたら、溺れそうな現実は真実ではなく、
「沈む」「死ぬかもしれない」と思い込んだ恐れそのものだったのではないか。
そう思った瞬間、頑なな世界がわずかに揺らいだ。
しかし、気づいたからといって、すぐに浮き輪を手放せるわけではなかった。
長い間、その浮き輪は自分を守ってくれたからだ。
怖かった時も。孤独だった時も。
浮き輪はいつもそこにあった。
だから手放そうとすると、不思議な痛みが生まれる。
そう簡単には手放せないかもしれない。。
まるで守護者と別れるような痛みだ。
不安だし、やっぱり怖い。
その時創造主はようやく理解した。
自分が握りしめていたこの浮き輪は、
生き延びるために。
傷つかないために。
必死で掴んだ浮き輪だったのだ。
だから、無理に手放そうとすることをやめた。
するとどうだろう。
今まで大きくなり過ぎて持て余していたはずの浮き輪が、違って見えた。
それは不器用だけど、
自分を守る愛そのものに映った。
なんだ、自分を制限するものではなかったじゃないか。。
それはただただ純粋な愛だった。
「今まで守ってくれてありがとう」
そう感謝が湧いた。
すると浮き輪は少しだけ小さくなった。
翌日も、また翌日も。
浮き輪は少しずつ小さくなっていった。
嫌わず、責めず、否定しなくなったからだ。
追い出そうとしなくなったからだ。
ただただ理解した。
やがて創造主は気づく。
浮き輪を小さくしていたのは努力ではなく、
受容だった。
浮き輪を消そうとすることではなく、
この大きくなり過ぎた浮き輪を掴んでいる自分自身を許すことだった。
そうして長い時間が過ぎたある日。
創造主はふと両手を離した。
決意したわけではない。
修行の成果でもない。
ただ自然にそうなった。
そして驚いた。
本当に何も起きなかったからだ。
沈まない。
苦しくない。
死なない。
その瞬間、創造主は笑った。
ずっと怖れていたものが、実体ではなく恐れの幻想だったことが分かったから。
足のつかない場所だと思っていたものが、
ただ「足がつかないかもしれない」という思い込みだったと分かっていった。
すると、取り巻いていた世界が
少しずつほどけ、境界が消えていった。
自分と世界を隔てていた線が消えていった。
波は自分だった。
空も自分だった。
風も自分だった。
他人だと思っていた存在もまた自分だった。
何一つ分かれてはいなかった。
創造主は何か新しいものになったのではない。
元に戻ったのだ。
最初からそうだったものを思い出したのだ。
そして創造主は再び世界を眺める。
そこには今も浮き輪にしがみついている創造主たちがいる。
必死に輝いて生きている。
苦しみながら懸命に生きている。
かつての自分と同じように。
創造主は微笑む。
もう浮き輪を奪おうとはしない。
間違いを正そうともしない。
ただ知っているからだ。
あの浮き輪もまた旅の一部であることを。
あの苦しみもまた愛の一部であることを。
そしていつの日か、誰もが思い出すことを。
自分は一度も溺れていなかったことを。
そして、ずっと追い払おうとしていた自我さえ、
愛から生まれていたことを。
