東京と田舎を行ったり来たりで、東京へ飛ぶときは子どもを親に預け、

いつかいつか、、子どもたちと完全移住するぞと機を狙っていた。

 

「東京に事務所を構えてバリバリやっている人『風』」をまとって、田舎の仕事は順調だった。

 

地元の有力企業の案件をこなし、ローカルTV局の帯番組にレギュラー出演し、

地元誌、フリーペーパー、地方新聞など、ほぼ全部私が獲っていた。

 

当時はちょっとした有名人だったと思う。

といっても、何度も書くように、順調=高収入ではないのだけども。

 

ローカルの有名企業にとっては「うちの仕事させてあげるんだからタダでもやりなさいよ」みたいな論理が当たり前に罷り通るので。

 

 仕事とは????

 

っていう疑問を感じちゃいけない。「何様!!!??」と淘汰されるだけなので。

田舎では「田舎で有名」がモチベーションになる人じゃないと無理なんだと思う。

 

そんなわけで足掛け4年ちょい、

息子が2年生、娘が年長になる春、一家で世田谷区に移住することを決めた。

 

起業から今に至るまで、親を含め、金融機関以外の支援を受けたことはなく、

かといって貯金があったわけでもなかった。東京での継続的な仕事や短期的な勝算もまた、全然なかった。

 

田舎を離れても遠隔でできる案件をいくつか、生活の最低限として引っ張っていたけど、それも何年も続かないはず。

 

 子どもに急な怪我や入院があったら・・

 自分が病気で働けなくなったら・・・

 

そういう不測の事態に備えていなきゃと、誰にも言わず初めて銀行に借入の相談をした。

今すぐ使わなくても、貯金としてまとまった額を持っていたかった。

 

その事情を説明すると窓口で、

 

「ご融資ですね、登記していますか?納税証明は?」

 

そういう簡単なヒアリングがあった。

けど、そういうものを何もしていない個人商店で、何聞かれてんだか当時はチンプンカンプン・・ろくな答えを持ち合わせていなかった。

 

「田舎で有名」を今こそ発揮だ!

喜んで貸してくれるに違いない!

 

手作りのHPを見せ、テレビ出てますとかあの企業も雑誌もやってますとか、華々しい実績を披露した。

今思うと可愛いもので、、そんなのは何の効力もないんだが。。w

 

「借入の額のご希望は?」と聞かれて、「200万くらいあれば嬉しいです」と答えた。

田舎で有名なんだし、そのくらいは良いはずだと思った。

 

担当者からの回答は、

 

「上限50万円ですね。浜田さんにご利用頂けるのはフリーローンだけなので・・」

 

とのこと。

 

 「田舎で有名」とは・・・。。。

 

29歳個人事業主の私は、与信50万円分の人だった。

これが現実だと、悔しくてならかなった。

 

引っ越し前にマンションを引き払い、実家に数週間仮住まいしていたとき、

銀行から50万円分の返済計画書が送られてきて、それを父が勝手に開封してしまった。

で、バレた。借金したことじゃなく私が50万の人だということ。

 

母が申し訳なさそうに「お父さんが失礼なことして・・」と言って、尚更恥ずかしかった。

 

その時思った。

 

いつか絶対、金融機関のほうから融資商品の営業をされるようになろう。

その額をどんどん伸ばしていこう。

 

毎月1万数千円×5年くらいの返済計画で、最初の2年くらいは吐きそうなほど重荷だった。

「たった50万ぽっち・・!」と思っていたのに、この苦しみ方はなんだ・・情けなくてしょうがなかった。

 

3年目一括で完済した時、29歳の自分を少しだけ見返したと思った。

が、その後更なる融資修羅場を見ることになり初めての十二指腸潰瘍を患うのだけど・・・。