今年にはいってからブログを書いてなくて

一発目が愚痴になるけど

モヤモヤ虫が収まらないので

書いておこうと思う。


先日、公立中学の説明会に行きました。


まず、あなたたちがこれからでていく社会はこんな社会です。という話。

さらりと「グローバル化」「科学技術の進歩」がますます進んでいくことに触れ、

そしてそこから、

「人口減少、地球温暖化、エネルギー・環境規約等の増大、価値観の多様化、災害、事件事故、コロナのような感染症、健康問題」

などなど、お先真っ暗だなというネガティブな未来像を列挙していった。


聞いていて暗い気持ちになったし、

じゃあ、なんでこんな問題だらけの社会を次の世代に残したんだと、

そしてこんな社会をつくってきた大人が、

なんでそんなに偉そうに話すんだ?!

とわたしの中の思春期か叫んでいた。



「あなたたちはこんな社会を生きぬいていかなければならない。

そして言ってしまえば、立派な納税者となるために、社会の役に立つ人間にならなければならない」


と、立派な納税者の先生はおっしゃいました。


先生が言う、立派な納税者ではない方々のお世話をお仕事としているわたしとしては

その方たちを否定されたような気持ちになりました。

正しいことを言っていることはわかるのだけど、もやもや。



そのあと、中学生の先輩方から新1年生になる子どもたちへ「中学校はこんなところ」というプレゼンがありました。


その中で、中学生らしいふるまい、服装、髪型についての言及がありました。


「中学校には上下関係があります。」

「先輩や、先生には敬語を使いましょう。

廊下ですれ違うときなど、挨拶はこうするのが正しいです。」

と、45度のおじぎをしている写真。



「ここでクイズです。」

「中学生らしい髪型はどれでしょう。」

①肩より長い髪をおろした写真

②ポニーテールの写真

③下の位置でひとつしばりの写真

「正解は…③です!!」





そして、先生からの学校の説明プレゼン


夢をもち、逞しく生きるために、

自分で考えて判断し、行動できる。


自分にとって正しい行動ができること。

目の前の人を大切にした行動ができること。


「楽しいことより、正しいことを選べる力をつけていきましょう」


……………



ぞわぞわしました。


夢も希望も奪うようなことしか言わないのに

夢を持て、とかいう。


こうあらねばならない、

これが正しさだと押し付けておきながら、


自分で考えて判断しろ、とか言う。


楽しさを正しさの下におく。


正しいってなんだろう。

ここでいう正しさは

褒められること、怒られないこと、役に立つこと、だ。


そして、ここでいわれている楽しさは

ダラダラと自分を甘やかしてしまうこと、

役に立たないこと、だ。


たぶん。


そんな説明はなく、ただ

「楽しいことより正しいことを選択しろ」

という発言は、かなり怖い。

と、わたしは思う。


こんな環境が当たり前だったら、


学校に行けなくなったら

正しくない自分を責めるだろう。


夢中になれることをみつけても

周りと足並みを揃えることを優先するだろう。


でも夢を持てとかいうから

必死に褒められるための道を探すだろう。


もう、わたしの中の思春期はヘトヘトだ。


ルールがあるのは、わかる。

秩序があると、物事は円滑にすすむ。


でも、


髪の毛の結ぶ位置(その他靴下のワンポイントの色にまで言及がありました)

に、なぜ正解などあるのか。


上下関係の強調をする必要があるのか。

お互いに尊重の気持ちをもって、対等に向き合っていくことがこれからの社会では必要ではないか。


楽しさを否定したような表現。


その他、

通学は制服で。学校に着いたら制服を脱ぎ

体操服に着替える。

雨の日の学校への通学は体操可。

その場合も制服は持ってくること。

(テストは制服で受けなければならない)



謎ルールをまるごと飲み込み、

正しくあれ、と強要されているような不快感。



中学ってこういう場所なんだ。

先生ってこういう人たちなんだ。


社会の理不尽をぶつけてきて、

思考停止させ、言うことを黙って聞くような人間を育てる。


「グローバル化」だのなんだの言っているだけで、昔となんにも変わってないし変わる気もない。


3年間の監獄だな、と思った。


子どもにはこんな場所もあるという社会経験として、捉えてほしい。

これが正しさだなんて思ってほしくない。


あーもやもやします。