昨日はデモクラティック(サドベリー)スクール、まんじぇの10周年イベントに行ってきました。


まんじぇを知ったのは5年前。
まずはそのときのイベントの話から。

娘がお腹にいたときに
まんじぇのイベントで、はるやのゆみえちゃんがホームスクーリングのことを話すみたいだから行かない?
と夫に誘われて、はるばる名古屋まで行ったわたしたち。

そのころはそんなオルタナティブ教育と呼ばれているものがあることを知らなかったし特に教育に興味があるわけでもなく。

夫の人生を変えた(笑)ゆみえちゃんに、会ってみたいという気持ちでなんとなく参加したのですが

それがすごくおもしろかったのです。


義務教育を受ける年齢になったら
学区内の小学校に通い、そのあと中学校に通うのが「普通」で、それが「当たり前」

そのことになんの疑問も不満もなかったけど

他にも色んな選択肢があるんだってことを知ったことがまず目からウロコ。ポロリ。


小学校や中学校のときってね
学校と家が世界のほぼすべてで

そこでうまくいかなかったりすると
逃げ場がない、という感覚が幼い頃のわたしにはあったので
子どもだって世界を広く持てるんだ~!
と思った。

それに

子どもの教育(生き方)を真剣に考えて向きあっている親たちの姿を知った。

生き方とか教育にすごく関心を寄せる人じゃないとオルタナティブ教育には行き着かないんじゃ…?と思うくらいみんな熱心だったので、子どもをもつ前のわたしには衝撃的だった。

よりよい環境を子どもに与えたいと思う親の気持ち?子どものため?
あのときはすごいな~と思ったけど、

どういう選択をするかは親自身の生き方だから、子どものためとかでなく真剣に向き合うことになるんだな、と今は思う。


そして
徹底的に子どもたちを信じる、という考え方がいいなぁと思いました。

サドベリーには学年も時間割も休み時間もテストもなんにもない。昼ごはん食べる時間だって自由。
なにをするかはすべて子どもたち自身が決める。ルールも子どもたちで。

学校なのに勉強しないの?
わたしたちには
ひとことでは理解不能だし
それ大丈夫?と不安になるけど
なんか、大丈夫そう。

なぜかって
どんなことにも「学び」があるし
子どもたちには自分必要なことはちゃんと身につける力があるから。

小学校三年生くらいでかけ算を何日もかけて暗記しなくったって、ある程度の年齢になってそれが必要だと感じたら
たった一日で覚えられるとか、
そもそもみんなが同じ年齢で同じ事をできるようにするなんて無理だから
その子のタイミングで学べばいい、という話とか、
時間を計って競わせるマス計算でいつも嫌な思いをして
算数が大嫌いになった幼い私に聞かせてやりたかった(笑)


ゆみえちゃん談では
息子さんが、あるとき歴史にハマって、合戦の絵とか描いたりしてるうちに絵がすごく上手くなって、兵の数、年号で数字や計算を覚えたり、漢字を覚えたり。

勉強したわけじゃないのに好きなことただただやってたら
教科で言えば、算数や国語や美術や日本史、世界史を学んでいたという、ホォ~となる経験話が聞けてすごくおもしろかった。

知らないこともあるだろうけど
知ってることの奥行きがすごそう。




わたしは
これをやりますよ、とか
○○に行きますよ
というのにぼんやり乗っかっていたせいなのか
学校のことってあまり思い出せないんです。
遠足や修学旅行、どこに行ったかもあやふや。たぶん全体的に楽しくなかったんでしょうね。

でもね、
好きだった本とか、
自分が頑張りたくて必死でやってた受験勉強とか、そういうのはよく覚えてる。
マス計算がすごく嫌だった、とか嫌だったこともよーく覚えてるけど。

大切な子ども時代、
もっともっと好きなことでいっぱいだったら
自分で考えることができていたら
あたたかく見守ってくれる大人がいたら、
どんなにか楽しかっただろうな~。

と話を聞いていて羨ましく思ったり。 


だからって従来の教育を否定する気持ちになったわけではないです。

ただ
こんな教育もある、という視野を広げることができたことと、
子どもは信じて見守っていれば大丈夫、というメッセージはこれから子育てをするわたしにはすごく心強かった。

産まれてくる子には視野を広くもたさせてあげたいと思った。
そのためには自分が視野を広げていかないと!って。

まんじぇイベントで、初めてゆみえちゃんに会って、同じく参加してたスープ屋さんと話せたり(たぶんお店以外で会うのは初めてだった)
わ~っと世界が広がり始めた5年前でした。

長くなった~。

今回のイベントのことはまた書けたら
書きます。