母心が誕生するきっかけとなった福島市の飯坂温泉。


ここに、うちらが「旦那」と慕う辛口の駄洒落好きのお父さんがいました。


福島で活動するきっかけとなった、、


コンビニ跡地で内装を変えた劇場「飯坂温泉・吉本はり紙昭和館」


ガソリン店を営む旦那は、飯坂をこよなく愛していました。


飯坂が盛り上がるなら、と自身のお店の駐車場を昭和館の駐車場として無償で提供してくれたり、、


芝居は見ることはありませんでしたが、、(うちらの芝居があまりにも下手くそすぎたので、、)


毎日スクーターで劇場を覗きにきたり、、


昭和館が閉館して愛知で住み込み巡業しているときは、飯坂温泉名物「照井の餃子」を送ってくれたり、、


今思い出した!


送ってきたのは餃子だけで、タレを忘れた!とあとから連絡がきたんだ(笑)


「旦那なんだよ~、、タレねーのかよー、、」


まだ20代だったうちらは、感謝よりも文句を垂れながら、黙ってペロリと頂いたっけ。


それから、少しずつ飯坂温泉とは疎遠になっていった。


旦那からは折に触れて連絡がきた。


「飯坂忘れちまったのか」
「材木屋じゃねーんだから、キは使うなー」
「座布団三枚!」
「冗談は剣道の構えだけにしとけ」


こんな言葉にいつも、「何言ってんだ!」とか思いながらも、励まされていた。


震災の時なんて、「頼む、母心来てけろ!飯坂の避難所、、みんな落ち込んでるから!」


震災後、初めて回った避難所は飯坂温泉のホール「パルセいいざか」だった。


疎遠になりながらも、旦那の応援に触れ、うちらも飯坂温泉を忘れることはなかった。


コンビ組んで10年。


今年の4月、母心まつりで、、


ようやく。。


「パルセいいざか」で2000人動員し、ほんのすこーし飯坂温泉に恩返しができた。


旦那は今まで以上に応援してくれた。


とはいえ、いつもの通り、、


お店の番もあり、本番は見に来てくれなかったが。


大きな花輪をくれた。


「母心さんへ 飯坂温泉のお父さんより」


公演終えて、挨拶行って、旦那の自宅で初めてお酒を飲んだ。


あぁ、飯坂って本当に人情に厚い街なんだなぁ。


しみじみ思った。


今年もお歳暮として旦那から飯坂で取れたリンゴが送られてきた。


と同時に連絡がきた。


旦那が亡くなった、と。


大好きで毎日入ってた飯坂温泉の湯。


その日、浸かったまま亡くなったそうだ。


その日も元気に仕事してた旦那。


なんで。。


あまりに急すぎる。


急なことで、葬儀には顔を出せず、、


今日、お線香をあげにいった。


悲しすぎる。


二人して涙を流しました。


うちらの公演、一度でいいから見て欲しかった。


旦那から教えてもらった、人の情け、、


飯坂の人情、、


絶対忘れません。


大好きだった、旦那。


ありがとう。


これからも、うちら頑張る。


見守っててね。


母心