福島で母心が大変お世話になった、今は無き居酒屋「赤ひょうたん」
寡黙で優しいマスターと気前の良い明るいママ。
名物は「手作りさつま揚げ」
大好きでよく食べてた。
実に懐かしい。
福島に行った当時、身寄りもなければ頼るところもない。
今から12年くらい前。
米屋のN氏とのご縁で行くようになり、常連に。
それこそ母心のコンビを組む前で、まだ一座で芝居をやってた頃だ。
芝居をやるたびに、、
「ママ、ポスター貼って!」
「ママ、チケット買って!」
「ママも見に来て!」
折に触れて、打ち上げやっては、甘えてました。
ママは実の息子のように可愛がってくれたし、マスターも応援してくれた。
それからコンビを組んで、数年経って、仕事も増え始め、忙しさもあってお店に顔を出せない日々が続いた、、
そんな折、突然の訃報。
マスターが癌の再発で亡くなった、と。
(胃癌を患い闘病して完治。またお店に復帰しているので大丈夫だと思ってた。)
知らせを聞いたのは、ちょうど7年前の震災当日の朝、、
その日は、福島駅近くダイユー8マックスのフードコートにある「やわらかからあげ味工房」にて1日店長のお仕事。
お仕事を夕方終えて、マスターのお通夜に行く予定だった。
…
当然行けなかった。
それどころではなくなったし、どーなったかなんて知る由もなかった。
…
あれから7年が経った。
数日前、母心二人して久しぶりに米屋のN氏をたまたま訪ねた。
(最後に会ったのは確か震災前。)
母心コンビ結成10年の報告と4月29日のパルセいいざかでの公演のチケットのお願いのため、福島市内を方々訪ねて回る折だった。
次のアポイントまで30分ある!
そうだ!ちょうど通り道だしN氏の所に顔を出そう!
実に懐かしい。
ひとしきり盛り上がり話題は今は無き居酒屋「赤ひょうたん」に。
聞けばマスターが亡くなったあと、ママが街中でスナックを始めたそうで、、
N氏が「久しぶりだべ?ママに電話してみっぺ!」
電話がつながった。
ママ「もしもし?えっ?だれ?、、えっ!嶋川君!関君!うわー母心!!!声さ聞げて嬉しい!!!元気しでだがい!?」
私「ママ!久しぶり!!ほんと、ご無沙汰してました!マスターのお葬式にも顔を出せず、そのままになっちゃってた。でもねママ、お陰さんでうちら母心10年になったよ!4月29日には10年の節目でライブやるから、ママも見に来て!」
久しぶりにも関わらず、また甘えてしまった。
ママは昔と変わらず、一方的にしゃべってしまううちらの会話をママはウンウンと聞いてくれて、最後にこう言った。
ママ「絶対公演行く!団体で行くよ!マスターにも報告しどぐから!、、今日ねえ、、マスターの命日なんだ。」
そうだったんだ。
知らなかった。
何も意図せず、たまたま時間があったのでN氏にあって、流れでママに電話しただけなのに。
人との縁を、感じずにはいられなかった。
マスターが引き合わせてくれたんだと。
マスターありがとう!
ご縁、大切にします!
震災から今日で7年。
母心はこれからも福島の笑顔のために頑張ります。