☆ただ一つの花  :  灰田勝彦   1948

   本年2月の小稿で洋楽を軍国歌謡にアレンジした♫いとしの黒馬(あお)よ   をご紹介しましたが、ご笑覧頂けましたでしょうか?

   ハイカツこと、灰田勝彦は戦前戦後を通して常にトップスターの位置にありましたが、自らを"ハワイ生まれの江戸っ子"と称して居ました。
   ハワイ生まれではあるものの、父母共に広島出身の純日本人で、曲がった事が大嫌い!客席から野次など受け様ものなら、ここぞとばかりに…皆さん!今僕を野次った奴がアソコに居ますがね、一発やっちゃって良いですか?…ヤレヤレー🎉  パチパチ👏👏👏…    その刹那   バシッ!👊💦
見事ハイカツのアッパーが相手の首元に入り…ってな具合にかなり野蛮な人ですが、相当肝が座った御仁だったお方だった様だ。
   立教大学時代から喧嘩と音楽に明け暮れてましたから、自分より強そうなの見ると燃えるんだぃ…(玉置宏のインタビューから)とは本人の弁。
   この種のハナシになると沢山あるが、王貞治さんの結婚式💒への道すがら、無茶な運転をするトラックの運転手とトラブルになった(当然ハイカツさんは黙って見てられない)。
   相手は20代そこそこ、こっちはもう50近い(…のに、まだ喧嘩?)が、無謀な運転を注意してるといきなり殴り掛かってきたが、ハイカツさん軽く身を引いて一発KO🥊
   無論警察へ行って事情聴取、漸く式場にたどり着いた時にはタキシードの腕の付け根が破けてた💦
   かなり揉み合ったのですか?と心配するワンちゃん(王さんの愛称)にハイカツ御大は「いや?振りかぶった時にビリっとね(^。^)」本当に一発で仕留めたのであった🤭

   今では考えられない遠い昔のオハナシ。

   さて、戦後すぐ日劇(現在の有楽町マリオン)に兄弟で出演の折(演目は「ハワイの花」)楽屋に売出中の少女が母親に連れられてやってきた。
   一曲唄わせてみたが確かに唄は上手い。
   …アニキ、モノになりそうじゃない?
と、勝彦が兄の晴彦に言うと兄はいいよ!
その日は、そのまま返したが兄は少女の声質を聴いて曲を書いた。
   舞台演出家の山本紫明にその子の連絡先を紹介して楽譜も渡した。

   後日、その少女は美空ひばり  としてデビューした。
   そして、その楽譜だけが残った。
   それが本日紹介する歌だ。
   ひばりのディスコグラフィにこの曲はない。
   灰田兄弟はビクター専属でひばりはコロムビアだったから。
   でも、ひばりは若き日に灰田兄弟の元を訪れた事はしっかり記憶していて、常に低姿勢だったと言う。

   終戦間もない頃のオハナシでした。

本日も最後まで読んで頂きありがとう存知ます😊

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