宇加(うか)の神
ここ3ヶ月、ほぼ毎日水をあげている挿し木の真榊も、こう連日猛暑が続くと、根が付いたのかどうか怪しくなってまいりました・・・
秋口の挿し木ですと、2ヶ月ほどで水やりをやめても、勝手に根がつくんですけどね・・・
う~ん・・・春の挿し木は失敗や否や・・・?
参道の両側の、西側の苔は、日が当たりすぎて茶色になっちゃってます(ノ_-。)
だいたい、こういう夏の年は、肝心の秋祭りシーズンの、雨が降っては困る時期に長雨となるパターンですね・・・(w_-;
と、そういうネガティヴなことは想像したくないと思いつつ、
前日に続き、能登町の宇加塚神社の例祭奉仕に行ってまいりました。
宵祭りに出された大ギリコは午前中のウチに綺麗に片付けられています。
旧鳳至郡の祭りは、宵祭りにお神輿にキリコ(切籠)が供奉して渡御し、御旅所の神事を終えて、翌日は午後から還幸の渡御、後に神社にて例祭、という形式が多く、
隣接する、当旧珠洲郡も、おそらくは、かつては同じ形式の祭りをしていたであろうことが想像されます。
あまりにも日差しが強すぎて、画像がヘンですね・・・(;^_^A
う~ん・・・ヤッパリゆるきゃらに見える橘紋・・・(^o^;)
渡御の順路は前日と同じく、まず、集落の川にかかる橋上で神事。
たぶんこれは、夏越系の祭りの名残で、川の水で集落の災禍を祓う、という意味なのではないかと思うのですが・・・
宇加塚の地名は、明治まで集落に二社あった宇加姫神社と塚神社が合併して出来たようです。
宇加(うか)といえば、羽黒神社祭神の倉稲魂(うかのみたま)命にみるように、穀物の古語で、稲作を守護する神であります。
山に囲まれて、広大な田畑を有するこの地にはまあ納得がいくのですが、
「宇加姫」と、ハッキリ女性神でして、ご祭神も豊受姫神と宇加売(うかのめ)神。
そして、馬場(ばんば)と呼ばれる御旅所には、旧塚神社の祠が今も祀られるのですが、
こちらは天照大神。
やはり女性神であります。
塚って、何の塚なんかな~・・・と思いつつ・・・
お神輿は、あまりの炎天下のせいか、途中から軽トラに乗せられての巡幸です。
昨夜、勇壮に大ギリコに導かれて、幻想的な神幸祭だったのですが、今日はなんだかほのぼのですね・・・(^_^;)
御旅所にお神輿が据えられ、馬場の神事。
以前ここへ奉仕に来た時に、集落の古老から、
「ここは疫病払いをしたやしろや。」
と聞きました。
それで、祇園系かな~?
と想像していたのですが、
天照大神は須佐之男命の姉君ですので、まあつながらないこともない・・・???
そういえば、この界隈には「八王子」という地名がいくつかあって、そのあたりも考察してみたいのですが、今のところまったくわかりませんo(_ _*)o
しかし、平地が少なく、米作りは山間の集落にゆだねられていた能登にとって、おそらくこの地は重要だったのであり、
何がしかの災害があって、お米がダメになると、能登全体にダメージが及ぶこととなり、
故に、収穫前の時期の夏の祭りが重要だったのではないかと思います。
そういえば、宇加塚を含めたこの界隈のいくつかの集落を、まとめて「神野(かんの)」と呼ぶのも興味深いです。
午後4時過ぎに渡御は終了。
私も宮司さんもバテバテで、還幸の後の例祭を奉仕して、5時過ぎに、すべての神事を終えました。
そこからさらに、車で40分ほどの我が家に着いたのは、夕方の6時を過ぎておりましたが、
帰宅してから1時間ほどボーっとしておりまして(;^_^A
日が沈むころ、戸締りをしに羽黒神社へまいりましたらば、
スバラシイ夕焼けの羽黒山が見えましたヽ(゜▽、゜)ノ
羽黒神社は弘化4年(キリスト暦1847)まで、この羽黒山の山頂に鎮座しており、
それは正院町全体の食を守護するために、神山より、瑞穂成す八丁平野を見下ろしていたのでございます。
ここもまた、宇食(うか)の御魂(みたま)が鎮まるところでございます。