八幡幣(はちまんべい) | 羽黒神社宮司のブログ

八幡幣(はちまんべい)

八幡幣とは、(当地では)土俵の屋根の天井中央から下げられた幣(へい/ぬさ)のことで、土俵祭りの際に、祭壇に立てられた神籬(ひもろぎ=神様のよりしろ)にお招きした神々が遷られて、力士をご覧になる、というものであります。





しかし、なぜこれを「八幡幣」というのか?

ということを、度々質問されるのですが、正直なところ、私もよくわかっておりません。


八幡系の神社は珠洲支部内にも相当数ありますが、特に氏神様が八幡宮、ということではなく、この幣を「八幡幣」と呼んでいて、

ネットで調べてみても、決定的な答えは出ませんでしたが、カタチはまったく別物でも、やはり草相撲に用いる御幣を「八幡幣」とよぶ地域は複数あって、その由来は宇佐神宮(宇佐八幡)にある、とありました。

たしかに、宇佐神宮は古来より相撲とのかかわりが深く、相撲の神様とみる信仰もあるようですが、やはり「八幡幣」というのは出て来ず、

若干関連があるようなものは、隼人の霊を鎮めるために行なわれる放生会(ほうじょうえ)の中に、傀儡(くぐつ)相撲というのがあって、そこに御幣をもって舞う傀儡が登場するというもの、ですが、どうも決定的ではありません・・・


宇佐神宮は今年の一月にお参りしたばかりですのでね~
それとなく聞いてみりゃよかったのですが・・・σ(^_^;)



それに、屋根が無い土俵では、当然この形式の幣は吊るせませんので、おそらくは、神籬そのものを八幡幣と呼んで、勝者の力士にそれが与えられていたのではないか?・・・と、想像するわけでありますが、


明日が土俵祭り、明後日が相撲大会の、当地の正院小学校では、この八幡幣とは別に、金と白の御幣を作り、学年ごとの勝者に与えられるのですが、

幣串(御幣を挟む板)の製作、墨書き、そして幣の製作はそれぞれ、地元の工務店さん、地元の書家の方、そして地元の神主の私が、毎年ボランティアで作っておるのでございますが、


今年の御幣と八幡幣も、今日の午前中にようやく完成し、先ほど、校長先生がじきじきに取りにおいでました。


で、

その八幡幣ですが、

コレ↓は神籬として、神々をお招きする八垂(やたれ)の御幣。



前々記事の、大祓詞(おおはらえのことば)に登場する、

「天津菅曽(あまつすがそ)を本刈断ち末刈切りて 八針(やはり)に取裂きて 天津祝詞の太祝詞事を宣れ」

の発展系がこのカタチといわれます。

紙のない時代は、麻などの植物を八つに裂いて幣とした、ということであります。


その八垂を半分にしたのが、この四垂(よたれ)の、現在よく目にする御幣のカタチ。



で、

四垂をさらに半分の二垂にしたのがこのカタチで、能登の輪島地方などによく見る幣のカタチです。



本来はこれを二つ折りにするところを、開いたカタチです。



これをですね、

約30枚の和紙を重ねて、中央を麻緒(あさお=麻紐)で括り、一枚づつ丁寧に折り目を付けずに両側を垂らし、



これを3組用意して、



中央に麻緒を挟んで、三つ束ねて括った部分に半紙を巻いて完成でございます(*´Д`)=з



ただこれね、

完成すると、置くと形が崩れてしまうので、置けないのですよ(;^_^A



カタチは、出羽三山の修験者等が持つ「梵天(ぼんてん)」に似てないでもないですが、



梵天(ブラフマー)は、古代インドの神の名で、後に仏教に取り入れられるのですが、宇宙の中心ととらえられている神様で、なんとなく無関係ではないような気もいたします。


また、石川県羽咋市に鎮座する羽咋神社の唐戸山神事相撲では、勝者が力士らに担がれて羽咋神社に詣で、御幣をいただく神事がございます。



ひょっとして、古代の宇佐の神事相撲にも、御幣をいただく神事があったと仮定すると、

宇佐からいただいた御幣を「八幡幣」と呼び、地方で行う(宮相撲などの神事も含めて)草相撲には、「相撲の神」の象徴として、または、宇佐の八幡神よりじきじきにいただいた幣を地域の誇りとして、高々と土俵にかかげ、それはとてつもなく大事なものなので、勝者には別に、氏神の神主が作る御幣が与えられた・・・???


と、

非常に飛躍した、自分勝手な想像をしてみているわけですが、

あくまで想像ですので、どなたか詳しい方がおられましたら、ぜひ、ご教示ください(;^_^A



明後日は、天中より、元気な子供たちをごらんくださいませm(_ _ )m