太鼓の・・・う~ん・・・ | 羽黒神社宮司のブログ

太鼓の・・・う~ん・・・

先日、出張祭典用の太鼓台を作って調子づいたわけではないのですが、


まあ、ものはついでで、

楽太鼓用の雲形シールを作ってみました。


貼ってみたらこんな感じ・・・


う~ん・・・統一感がありません・・・(ノ_-。)

天女の絵は切り絵で、元会員の作ですから、とってつけた感がありますね~・・・

これはキレイにはがせるタイプのシールなので、また考えます・・・φ(.. )



で、

能登の神社では、こういう雅楽の太鼓のほかに、祭典の前後に神主が奏する能登浅略(のとせんりゃく)というものがあるのですが、



先般、兼務社の新嘗祭にお手伝いに来ていた次女が、頼みもしないのに勝手に太鼓を打っておりまして、



せっかくやる気があるのなら、ちゃんと打ち方を教えて、練習してもらおうと思いまして、

この、長女が小さい時に購入した、このおもちゃの太鼓、


これに、そーめんの木箱で台をつくろう!というわけなんですね~( ̄▽ ̄)



で、

こうなりました。



バチも、たしかついていたはずなんですけど、見当たりませんでしたので、


作りました♪

多少削り方が荒いですが、これは神社のヒノキの枝でございます(^^ゞ


しかし、こういうものばっかりアップしてるとですね、


羽黒神社というのは、こういう宮司が作ったまがい物しかないのか?と誤解を受けられても困るので、

たまにはちゃんとしたもの(?)もご紹介いたしますが、


この↑拝殿にある神楽太鼓ですが、

台の裏には、


「奉寄進 明治十七年三月 小路村 大工 橋本藤五郎」

この台を作られた大工さんのお宅は、現在も氏子地内にございますが、今は大工さんではありません。

「藤五郎」というお名前は屋号で、明治の苗字必称義務令以降、襲名のような形で用いられたのだと思います。

昭和38年に羽黒神社の本殿、同63年に幣拝殿を改築した時の棟梁は、ここに書いてある藤五郎さんの子に、宮大工のノウハウを習ったそうです。


時折、珠洲近辺の神社の造営の記録の棟札などに「宮大工 藤五郎」という名があり、私が宮司を兼務する三崎町の片姫神社にも、文化12年(キリスト歴1815)の社殿改築の棟札に、「本殿大工棟梁 小路村藤五郎」とあります。


(↑この本殿かどうかは不明です)


この太鼓台も、よく似たものが珠洲内の神社にいくつかあって、「藤五郎」の名が確認できるものもございます。


しかし、ほれぼれしますね~♪


私が描いた雲形とはだいぶ違います・・・(^o^;)



う~ん・・・私ももっと修行して、いつかこんな・・・



いや、

いやいや、そうではありません、


神主です!私は(-"-;A



とりあえず、練習してくれたまえ(。-人-。)