相撲大会の御幣作り | 羽黒神社宮司のブログ

相撲大会の御幣作り

来月行なわれる、地元の小学校の相撲大会で、学年ごとの勝者に贈られる御幣(ごへい)の幣串(へいぐし=御幣の紙を挟む板)と金銀の紙が小学校より届きました。
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いよいよこの季節がやってまいりました~・・・って感じです(;^_^A
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正院町は藩政時代から相撲が盛んな地域で、神社では事あるごとに神事相撲が行われていて、社殿新築や修理などの記録を記した「棟札(むなふだ)」に「神事角力」の文字が見られます。

特にこの正院町の小学校の相撲大会は、今は創立記念の一環として創立記念日に近い日曜日に行なわれ、その前日に土俵祭りをご奉仕しておりますが、その昔は日清日露の戦没者を祀る招魂祭の後に行なわれていた由緒ある大会です。

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しかしこの、短パンの上からのマワシはいただけませんね~・・・(´□`。)

なんか、全国の規定で決まったようなんですが、その理由は「人が着けたマワシをウチの子に着けさせたくない」と保護者からクレームがついたからだそうですが、
正院の子はなっ!
昔からマワシは自前で持っとるんじゃっ!!\(*`∧´)/

すんません、また脱線でした・・・


また、江戸時代の大相撲の横綱阿武松緑之助(おおのまつみどりのすけ)が正院に縁があったこともあって、町の外れには力士の碑が集められていて、町の外からやってくる災禍を防いでいます。
(詳しくはコチラ→横綱 阿武松(おおのまつ)と天狗

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小学校での土俵祭りの後は、こちらで物故力士の慰霊祭を齋行いたします。


で、
この御幣ですけどね~
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(完成するとこう↑なります)

今年は20数本。
子供の数が減っちゃって、一昔前の半分です。

私が小学生の頃は相撲は男の子だけのもで、学年ごとに1位が金幣、2位が銀幣、3位が白幣を贈られていました。

女の子は何をしていたのかというと、体育館の中で「ケンケン相撲」というものをやっており、これは腕組してケンケン飛びで対戦し、丸の外から出たり、転んだら負け、というものでしたが、転倒して怪我をする子が続出して、次第に無くなっていきました。

それが、ウチの長女が入学する少し前くらいから女の子も相撲をとるようになり、女の子の勝者にも御幣を贈るようになって、
多い時には1位~3位×6学年×男女分で、都合40本程を作っていたわけです。

はじめてこの仕事(?)を引き受けた時は、「オレはプロや!こんなもん、すぐ出来るっ」とたかをくくって、ギリギリまで放っておいたら・・・
なんのなんの・・・ヒマかかるかかる・・・(T▽T;)

結局その年は、二日間ほぼ徹夜でギリギリ間に合わせて、フラフラで土俵祭りにのぞんだのでありました(T_T)


そういうわけで、いい加減に取りかからないといけません(;^_^A

御幣は土俵祭りで土俵に上げられ、お祓いの後、勝者の子供たちに授けられます。
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しばらくかかりっきりになりそうです(^_^;)
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