セクハラ共産主義者のバイデンの言いなりになりやがって、と思われているが、この事故はなかなかに変だ。

もう3年も前の事故が今になって動きが出たこともその一つ。

一般人ならいざ知らず、米兵の事故なのに、アメリカ側の対応が遅すぎる気がする。

なんだこれは。

禁固3年が重いか軽いかはわからない。

米兵の妻もけがをしたので、逃げらずに素直に警察の対応を受けたか。

が、注目したのはそこではない。

一番滑稽なのはアメリカ兵の言い訳だ。

山に登って高山病になったから事故したという、子供でも言わないごまかしである。

いや、よく似た言い訳をする輩がいる。

青葉など、大量殺人犯の裁判で必ず弁護につく、左翼弁護士の言い訳とよく似ている、いや同じだ。

青葉の場合はらせん階段のせいにしていたようにだ。

アメリカ兵の多くはキリスト教徒だろう。

それはすなわち、共産教を意味する。

だから言い訳が同じになる。

 

米兵を裁いた裁判員は、その言い訳にあきれて日米地位協定などお構いなしに判決を下したのだろうか。

米兵はこの世での人間の裁きを逃れたら天国へ行けると思ったかもしれない。

そういうのをぬか喜びという。

重罪人が死刑執行前に、神父や牧師の前で懺悔すれば天国へ行けるなどと考えているのはよく知られている。

日本人がそれに疑問を呈するのは当然なのだが、それがキリスト教の教義と思うのは危険である。

なぜなら、日本人の想像するキリスト教は、キリストを殺してその皮をかぶった共産教だからだ。

この誤解は日本人を危険にさらしている。

共産教の特徴は聖書を徹底的に利用することにあるからだ。

 

日本はキリスト教国ではないから聖書など必要ないと考えてしまう。

聖書は共産教の兵器という認識が必要なのだ。

その兵器の対策を立てるためには、聖書を学ぶしかない。

たとえば、右のほほを打たれたら、左のほほを出せという教えを逆利用して、相手が反撃してこないのをいいことに徹底的に攻撃する、など。

この教えを世界で最も忠実に守っているのは日本人であるため、共産教のキリスト教国は好きなだけ打ってくるわけである。

戦争において一般人(非戦闘員)は攻撃してはならない、を忠実に守るのは世界で日本だけだ。

市街地への焼夷弾や原爆など、英雄行為と考えるのが共産教のアメリカの政治家と兵隊だ。

アメリカは海をはさんだ向こう側の国だったが、不運なことに、日本はシナや朝鮮半島が隣人なのだ。

キリストは隣人を愛せよと言い、日本人はそれも忠実に守ってきた。

もちろん共産教のシナや朝鮮人は、その教えを利用はするが守ったりしない。

それにしてもろくでもない隣人を持ったものだが(おまけに日本の省庁とマスゴミは完全に左巻きの売国奴だ)、日本が真の意味で救われるのはいつになるだろうか。

 

このブログは多少日ユ同祖論だが、日本人の異常な苦しみを旧約聖書に見出すとすれば、それはヨブ記だろう。

聖書というと、ユダヤ人の記録と思われているが、そうではない部分もある。

創世記の初めなどはユダヤ人自体がまだ存在していない。

聖書の中で最も特殊といえるのがヨブ記なのだが、このヨブという人物、ユダヤの双子の兄筋に当たるエサウの末裔であると、イスラム教は伝えている。

日本人の多くがこのエサウとヨブの子孫であるというのがこのブログの主張するところである。

ヨブ記にはステゴザウルスと思われる生き物の記述がある。

同じ姿の生き物の伝承を、ホヤウカムイとしてアイヌ人が伝えている。

 

創価学会も共産教故に、聖書の矛盾点をあら捜ししてキリスト教徒(組織ではなく、いうなれば無害な一般人)を貶めるために使う。

創価信者は全国一貫して同じ手を使うので、そういうマニュアルのようなものが存在するようだ。

まさに共産教だ。

 

エサウは双子の弟ヤコブに長子の特権を奪われたのだが、もともとエサウが受け取る予定だった祝福(預言)はこれである。

「ああ、わがのかおりは、しゅ祝福しゅくふくされたのかおりのようだ。

どうかかみが、てんつゆと、えたところと、おおくの穀物こくもつと、あたらしいぶどうしゅとをあなたにたまわるように。

もろもろのたみはあなたにつかえ、もろもろのくにはあなたにをかがめる。あなたは兄弟きょうだいたちのしゅとなり、あなたのははらは、あなたにをかがめるであろう。あなたをのろうものはのろわれ、あなたを祝福しゅくふくするもの祝福しゅくふくされる。

 

これがもともとヤコブに与えられるはずだったエサウの預言である。

「あなたのすみかはえたところからはなれ、またうえなるてんつゆからはなれるであろう。

あなたはつるぎをもってわたり、あなたのおとうとつかえるであろう。しかし、あなたがいさときくびから、そのくびきをおとすであろう。」

 

日本語では弟だが、英語などはブラザーというように、上下の区別がない。人は生まれではなく生き方で人生を決めるものだ。

生まれで(たとえば白人とか)人生が決まると考えている共産教の教義では、決して幸福にはなれない。