自分は滋賀県北部の生まれだが、自分が慣れ親しんだ歌は、全国と比べると最も短い歌詞になっている。

 かってうれしいはないちもんめ
 まけてくやしいはないちもんめ
 あのこがほしい
 あのこじゃわかららん
 そうだんしましょ
 そうしましょ
 きーまった
 じゃんけんぽん

 全国の標準は以下のように解釈されている。

 勝ってうれしい はないちもんめ
 負けてくやしい はないちもんめ
 となりのおばさんちょっと来ておくれ
 鬼がいるから行かれない
 お釜かぶってちょっと来ておくれ
 釜がないから行かれない(お釜が底抜け行かれない)
 布団かぶってちょっと来ておくれ
 布団破れて行かれない
 あの子がほしい
 あの子じゃわからん
 この子がほしい
 この子じゃわからん
 相談しよう そうしよう

 はないちもんめを漢字で書くと花一匁となり、花は売られる女性を、一匁はその値段を指しているとされる。そのため、勝ってではなく買ってで、人買いに買われる時に値踏みや品定めをしている様子を歌った意味と思われている。
 滋賀県では鬼とおばさんのやり取りはないのだが、ここはどういう意味だろうか。なぜ鬼やおばさんが出て来るのか。これをかごめ歌のように記紀に当てはめ、さらにフリーメーソンの法則に当てはめると、違った答えが浮かび上がるのである。
 はないちもんめを漢字だけではなく数字に当てはめると、八七一もんめとなる。もんめがもんめんと同じだとすると、一反木綿という妖怪の読み方に『いったんもんめん』というのがあることから、もんめを木綿に当てはめてみた。
 すると八七一木綿となり、そして木綿には『ゆう』という別の素材の布もあることから、これも加えてみる。八七一は八八と変換でき、これでハハと言うなら、{木綿}(ゆう)とあわせて、天岩戸の前で掲げられたハハカの木と木綿の布が現れる。
 ハハカの木と木綿の布は、スサノオに殺されて岩穴に葬られた天照大神の模した姿であり、勝って嬉しいとは、スサノオの勝利すなわち殺害を指していることになる。負けて悔しいとは、天照大神の死を意味している。天照大神は卑弥呼と同一であるため、邪馬台国が狗奴国に敗れたことを意味しているのである。
 こうなると、次の言葉の意味が見えてくる。おばさんとは、ハハカの木に掛ける鏡を作ったイシコリドメという老婆であり、鬼とは猿田彦でもあり、その妻である岩戸の前で裸踊りをしたアメノウズメでもある。
 神社には釜とかまどがある。釜は切り取られた鬼の首を指しているが、鬼の首は神社の地面の下に埋められて。釜をかぶるとは鬼のふりをする事になるが、釜は地面の下に埋められているのでかぶれないわけである。
 布団はもともと{蒲}(がま)の繊維でできた円いもので、{衾}(ふすま)ともいったが、木綿と同じく妖怪の姿でも現される。一反木綿は鹿児島の妖怪、衾は佐渡島の妖怪、布団かぶせは愛知県佐久島の妖怪と伝わる。
 鬼の首である釜は埋められ、あるいは底が抜け、布団は破れているということは、どちらも死んでいることを意味している。そして鬼や妖怪は天照大神と同一の存在であるが、だれもその存在が分からなくなっているのである。
 そして鬼がいない時に「○○が欲しい」と言っていることから、これは「鬼のいぬ間に洗濯」ならぬ、「鬼のいぬ間に選択」である。ダジャレではないかと笑うかもしれないが、これが日本語のすごいところなのである。
 かごめ歌とは鬼=神の正体を言い当てるという至高の奥義であり、子供の遊びの神髄となるわけである。

 

 まじめに物書きやらないとな。