日本だけを見れば、ほぼすべての宗教組織はワクチン推進派であり、悪の片棒を担いでいる。

自分が所属している宗教も推進派であるが、緊急事態宣言を真に受けて集会を開かないので、うちの家としては大助かりになっている。

うちの宗教はみんな死に絶えるかもしれない。

知りたい人はうちの本屋に若干情報あり。

うちの宗教を紹介したら、ワクチンを打たれてしまうかもしれないので紹介したくないのだが。

 

 

ここのところ、ワクチンを打つ人は従順な羊に例えられているのだが、これは間違いを指摘しておかなければならない。

羊は自分の羊飼いを知っている。

羊は右へ倣えではない。

自分で行き先を決める。

悪い羊飼いに従う羊は羊ではなく犬である。

この未曾有の不況(コロナ禍ではない)に対し、宗教組織は一銭も援助金を出さず、殻に閉じこもって信者からの布施でのうのうと生きている。

羊飼いは羊一匹一匹を知っている。

生活に苦しむ自分たちの信者を放って置くような宗教はすでに終わっている。

宗教が援助する範囲まで国の援助といって要求する世の中である。

DV、ネグレクト、貧困、シングルマザー、差別、障害などで苦しむ人の援助を、すべて宗教が担当しているはずが、なぜ公務員がやらなければならないのか。

公務員は宗教がやる援助策に許可と護衛を出すだけでいいはずである。

おまけに少子化対策というが、これはまさに宗教の担当である。

これでは税金がいくらあっても足りやしない。

そのため宗教は弾圧の対象となる条件を満たしてしまい、ついに江戸幕府の禁教令が復活することになる。

ワクチンは踏絵そのものなのである。

ところが、キリスト教徒がワクチンに真っ先に尻尾を振っているようである。

この世を実質支配している連中は、宗教の堕落をよく知っている。

言い換えれば神のしもべがこれほどまで堕落しているなら、自分たちが彼ら以上に悪くなければ、何をしようと神の罰は受けないと判断しているわけであるし、実際そうなっている。

宗教をなくせという共産主義はさらに悪質なので、宗教は自分の義務を果たせ(金庫をすべて開放しろ)と問い詰めるのが第一歩かもしれない。