以前の記事で、マツタケ山が森林伐採によって松だけ残ることで形成されたと考察したが、山に松が生えているという記述、日本書紀にもある。

それはヤマタノオロチの背中である。

ヤマタノオロチは頭と尾が八つずつあるという大蛇と記されている。

その背中には松や柏が生え、腹は血でただれていた。

またその尾から草薙の剣が出て来た。

これらの記述からヤマタノオロチはたたら製鉄民の象徴であるという説がある。

また、オロチは高志(こし:越)から来たという。

越というと北陸地方(越前、越中、越後)のことだが、倭人そしてジャポニカ米の故郷が四川省や雲南省とすると、ここも越国なのである。

そしてマツタケの輸入元に四川省と雲南省がある。

またこの地域にはたたらの遺跡もある。

中国の歴史書の中には、倭人は自ら呉の太白の末裔であると名乗っているものがある。

呉の太白は越国に亡命したので、その末裔とは越人になる。

現在の越人の血液型を調べると、日本人の各血液型の人口比率と同じといわれる。

呉服や、コシヒカリ(越光)という名は、まさにここからなのではないだろうか。

 

スサノオはヤマタノオロチ退治の前に、川上から流れてきた箸を見つけている。

倭人は食事を手で食べていた。

箸の文化は中国から伝わったと思われる。

箸といえば、御椀に盛ったご飯である。

 

スサノオの正体を考える上で、滋賀県に伝わるムカデ退治が重要な鍵を握っている。

三上山(実際には蓬莱山と思われる)に住む大ムカデを退治してくれと、琵琶湖に住む龍王の娘が俵藤太(藤原秀郷)に依頼する。

そのお礼に娘は米の尽きない俵を藤太に贈る。

米の尽きない俵とは、好きなだけ米の年貢を納めるという約束のように思える。

俵藤太の信仰する神は豊城入彦であった。

この神を滋賀県ではスサノオとしている。

 

これらの話は、民と支配者との新しい契約といえる。

ムカデや大蛇はたたらの民(山の民)であり、米作りの民(平地の民)が彼らを支配あるいは追放するため、外国の軍隊の力を借りたものを象徴化したものではないだろうか。

鶏が鳴いて鬼が出て行くエピソードも、根本は同じかもしれない。

山の民と平地の民の境界に置かれていたのが地蔵(猿田彦)であった。

都市伝説の、日本国憲法が通じない町の入口に猿田彦神社があるという話も、ここから来ているのかもしれない。