崇徳上皇は日本の歴史の中で、最大の呪いをもたらした大魔縁とされている。

 平安時代末期の1156年(保元元年)にあった保元の乱で後白河天皇に敗れ、讃岐に流された。

そして讃岐で没するが、保元物語によると、崩御するまでの間夜叉のような姿となり、後に天狗になったという。

そしてとくに有名なのが、次の呪いの言葉である。

「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」

この呪いは鎌倉幕府の成立により、天皇が臣下に取って代わられ、その後ずっと武家政権そして軍部の支配の世の中になったことで成就したとされている。

 

だが、崇徳上皇がそのような恨みを抱いて魔物となったのが史実とは思われないのである。

実際の人物と伝説がまるで違うということはよくある。

有名なのは一休さんで、あざやかなとんちの人気者というイメージからかけ離れた破戒僧が、実際の一休だったりする。

大魔縁はそんなに悪い意味はない。

信長が呼ばれた第六天魔王も、仏教最大の擁護者の一面がある。

大魔神も閻魔大王も、恐ろしいのは見た目だけで、正義の神である。

「皇を取って民とし民を皇となさん」は、どこで武士の反逆という意味になるのだろうか。

単に臣籍降下と主権在民ではないのだろうか。

明治天皇は即位前に崇徳天皇陵に勅使を送り、白峰神宮を京都に建てている。

昭和天皇も勅使を送っている。

明治天皇以来、歴代天皇は主権在民という立場を取って来た。

 

崇徳天皇は鳶の姿をし、かたわらに源為朝を従え、もう一方には後醍醐天皇などが並び立つ描写がある。

この形は神武東征を彷彿とさせる。

また、鬼退治などに見られるように、はるか昔の歴史が後の有名人に結び付けて語られる場合がある。

崇徳天皇が同じように過去の歴史になぞらえられているとすれば、神武天皇に敗れた鳶の名にちなむトミノナガスネヒコではないだろうか。

明治天皇と昭和天皇の行動は、主権在民と天皇家がナガスネヒコ(卑弥呼)の血統に戻ったことを意味するのかもしれない。

 

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