ドラえもん第一巻はものすごい本だ。

ここにはあらゆる預言が詰まっている。

のび太はドラえもんと自分の先祖を見に行くのだが、のび太の先祖は蓑をかぶったマタギだった。

のび太の得意な射撃はここから来ているようだ。

またその先祖はマタギ特有の斜視であり、眼鏡ののび太と同じくアメノマヒトツの姿をしている。

またあやとりも得意だが、これは環太平洋文化圏に属するもので、一つ目小僧や唐傘お化けのあっかんべーも同じ文化圏に入る。

対するスネ夫とジャイアンの先祖は笠をかぶった足軽の姿をしており、スネ夫の先祖が戦争で手柄を立てたのが現在の繁栄につながっていることが語られている。

のび太の先祖が山の民で、スネ夫とジャイアンの先祖は平地の民であることが見て取れる。

笠をかぶるかぶらないは身分や立場の違いを示しており、、「笠地蔵」でおじいさんが作った笠を自分ではかぶらず、山に帰っていったことにも表れている。

のび太がいじめられる理由は、穢れた民とされた山の民が平地に降りてきたためといえるのである。

またのび太の先祖はいつも母方の姿に似せてあり、山の神が女神であることと関係があるといえる。

各地で祠に祀られている地蔵は、もともと山の民と平地の民の境界として置かれていた。

都市伝説にいう、「ここからは日本ではありません」という隠れ里の入り口に猿田彦が祀られている逸話は同じことを意味している。

 

のび太のテストの点が悪いのは、どうもおかしい。

0点ということは、記号問題ですら不正解なのだろうか。

算数や国語のテストが0点なら、のび太は買い物すらできず、漫画も読めないではないか。

いろいろな回で、小5にしてのび太は第二次世界大戦の歴史を知っており、キノボリウオなどの生き物や鉱物の知識もあったことが示されている。

日常会話も噛むことなく文法もまったく正確である。

かなり難しい漢字も読めるようで、知能レベルは普通かそれ以上あったことが分かる。

もはやテストの点数の悪さは教師の責任である。

これがドイツやイギリスなら、教え子からダメ出しを喰らって辞めさせられる。

のび太の担任はいつものび太が悪いというが、この教師はあきらかに給料泥棒の犯罪者である。

日中街中でのび太を見かけては説教しているが、公務員が勤務時間中に何をしているのか。

家にまで押しかけて親にクレームをつけているが、自分の努力の無さを児童のせいにするとは卑劣である。

教師がこれなら同級生もいじめを正当化することになる。

 

第一巻のすごさは、SF小説の最も難解な理論を昇華させているところにある。

親殺しのパラドックスというのがある。

過去に戻って自分の親を殺せば自分はどうなるのかという不可能理論である。

親が死んだのは過去であるので自分は初めから存在しないことになり、殺しに行った自分は何者かという矛盾の理論である。

これが第一巻では、詳しいことは本文に譲るとして、両親が結婚したのは自分が過去に戻ったからという見事な物語になっているのである。

自分が存在するのは自分が存在するからという、自己肯定の極みともいえる話なのである。