日本は仏教国という。

しかし、日本の象徴である天皇陛下は神道である。

仏教は先祖を敬う宗教というのだが、これが非常に曲者である。

末法思想から誕生した仏教以前の仏教の葬送の姿がそれを如実に表している。

死者に一膳飯を供し、棺桶をぐるぐる回し、火葬にする。

これは死者が戻る道を分からなくし、二度と蘇らないようにする呪術である。

ところがお盆では死者が帰ってくるのを祝っている。

また葬式では白装束(黒の喪服は欧化政策の影響)を身に着け、ハレの日(めでたい日)であることを示している。

死んだ日を命日というのも同じといえる。

古代では屈葬や胸の上に石を置いて葬っており、これも蘇りを封じる呪術であるので、仏教の風習のルーツがここにあるといえる。

 

日常的に仏教徒は先祖にお経を唱えるが、先祖のことをほとんど知らない上に、過去を知ることをタブー視している風潮がある。

死者の名も戒名や法名で記し、名前も生年月日も分からないようになっている。

日本には生き物の名前をそのものの名で呼ぶことを忌む風潮がある。

犬を「イヌ」、猫を「ネコ」と名付け、呼ぶことは忌むことなのである。

そのため、死者を名で呼ばないようにして、こちらの世界に戻ることがないようにしているようなのである。

 

先祖を敬うと言いながら、日本は世界で最も先祖を知らない国なのである。

先祖(過去)を滅却、封印することを大々的にやったのは毛沢東である。

中国人は先祖の記録を守るため、壁の中に埋め込んだりして、文化大革命を乗り越えてきたのである。

これは朝鮮半島も同じである。

中国共産党が出来る前は、中国という国は前政権の歴史を正確に残すことが正統な国家という自負があった。

文化大革命と同じことが日本でも行われた可能性がある。

しかも相反する風習が存在するため、先祖を敬うというきれいごとに隠れて、過去を消滅させる悪事が公然と行われているのである。

つまり、中国共産党のような連中が、仏教の仮面をかぶって日本にやって来たと思われるのである。

 

古代日本にあった銅鐸文明は、なぜか目印もなしに銅鐸を埋めながら、九州から東海まで逃亡している。

彼らの聖所には現在神社が建っており、特に熊野三山は破壊された銅鐸が見つかったことから、神器を破壊することで信仰を捨てさせた証拠と思われるのである。

そして空白の四世紀を経て、それ以前の日本の歴史は謎に包まれたままとなった。

 

しかし、日本の歴史をつぶさに記録した正史がどこかに残されていると信じたい。