ちょっと古い話なのですが、気になったことを一つ、お話ししてみたいと思います。6月のある日、夕方のニュースを見ていたらこんなニュースが流れてきました。
レポ「こちらはM市の〇〇小学校です。今日は『さくらんぼ給食』の日。小学生たちは、給食
の時間に、今年から販売が始まった『やまがた紅王』と『佐藤錦』との味比べをしていると
ころです。ちょっと、お話を聞いてみましょう」
レポーターが、さくらんぼを食べている子どもたちにインタビューを始めました。さくらんぼにはたくさんの品種があります。「さくらんぼ王国山形」の人間の一人として語らせていただきますが、近年においては、さくらんぼは「佐藤錦」と「紅秀峰」のツートップの銘柄に集約されてきた感がありました。ところが、そこに500円玉ほどの大きさの新種のさくらんぼ「やまがた紅王」がすい星のように登場してきたわけです。「さくらんぼ王国山形」としては大事件です。まあ、正直、ネーミングはいまいちです。センスがありません。どなたが考えたのでしょう? 「やまがた」という訓読みの後に「ベニオウ」という音読みを組み合わせてしまう感覚。実に情緒に欠けます。まあ、今回はあまりそこには深入りしません。
今シーズンからその販売が開始されました。みなさんは今年、「やまがた紅王」を召し上がりましたか? 私は残念ながら賞味できませんでした。スーパーに行った際も、何度も
『売っているかな?』
と注視していたのですが、ついに発見できないままシーズンが過ぎてしまいました。残念!!
インタビューを終えたレポーターが、最後にこう結びました。
レポ「子どもたちはさくらんぼを美味しくいただいていました」
おっと、これはおかしいでしょう!! みなさん、そう思いませんか? このことについて、分析的に考えていきましょう。
1.子どもたちの「食べる」行為をレポーターが「いただく」という謙譲語を用いて伝えるこ
との危うさ。
これが、例えば観光客の行為だったり、敬老会の催しだったりしたらどうでしょう?
レポ「参加されたみなさんは、さくらんぼを美味しそうに召し上がっていました」
こうなることでしょう。でも、もしかしたら
『子どもの行為だから、そこまで丁寧に言わなくても……』
という判断が働いたのかもしれませんね。確かに、
レポ「子どもたちは、美味しそうに召し上がっていました」
では大げさな敬語表現とも言えます。それならば間をとって、
レポ「子どもたちは、さくらんぼを美味しそうに食べていました」
でどうでしょう。こちらのほうがずっとナチュラルなのではないでしょうか。
2.そもそも、「美味しくいただく」と「美味しいものをいただく」は違う。
インタビューをしたとは言え、本来的には「美味しくいただく」は個人内部の評価を込めた表現であって、外部から判断できるものではありません。「美味しいものをいただく」こととはちょっと違うのです。レポーターが自分のことを伝えるなら構いませんが、第三者である子どもたちが食べている様子を伝えるのですから、
レポ「子どもたちはさくらんぼ美味しくいただいていました」
と言ってしまっては、この」レポーターはまるで超能者みたいです。ここは、
レポ「子どもたちはさくらんぼを美味しそうに食べていました」
で十分。むしろ適切と言えます。ともあれ、来年こそは、「やまがた紅王」をぜひとも美味しくいただいきたいものです。