「キツネ狩り」と言った場合には、毛皮でコートやマフラーを作るために、キツネを鉄砲で撃って仕留めることを言います。多分、キツネの肉自体は食べないと思います。ん? 食べるのかな? 「キノコ狩り」とか「ブドウ狩り」、「イチゴ狩り」、「さくらんぼ狩り」と言った場合には、実際には狩りはしません。鉄砲も使いません。直接それらを手で採って口に運びます。「紅葉狩り」に至ってはただ紅葉や蔦を見て楽しむだけです。そういう表現なのですね。
ところで、「言葉狩り」というのもありますね。
「悪い言葉を使わないようにしよう」
ということ自体は望ましいことだと思います。昔は普通に使われていた言葉も、今では「差別用語」として括られて、使われなくなった言葉がたくさんあります。
博愛の精神に立ち、日本語を用いる日本人としての望ましい判断がなされたのかとは思いますが、そこには多少なりの問題も残っているようにも思います。歴史的、民族的、自然発生的に形成された自国語を思想的側面から正義を振りかざして駆逐抹殺してしまう……。これは「言葉狩り」と呼ばれてしかるべきでしょう。ちょっと怖いのです。
話は少し関連しつつも少し外れてしまいます。昔、『ちびくろサンボ』という絵本がありました。今では、存在しないことになっているのかな? 人権団体の圧力で、社会から粛清されてしまったみたいです。私は大好きでした。子どもの頃、この『ちびくろサンボ』をずいぶん繰り返し読んだものです。あのお話のどこがまずかったのでしょうか?