「言葉の誤りを見つけた時」 | はぐれ国語教師純情派~その華麗なる毎日~

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国語教師は生徒に国語を教えるだけではいけない。教えた国語が通用する社会づくりをしなければ無責任。そう考える「はぐれ国語教師純情派」の私は、今日もおかしな日本語に立ち向かうのだ。

 生活の中で、曖昧な標記、誤った言葉、そぐわしくない表現……、そうしたものに出くわした時、私たちはどう対応したらいいのでしょう? 授業において、討論を行ったことがありました。今、別々の考え方をしている二人が互いの考えを述べ合っています。あなたはどう考えますか? 二人の考えを聞いてみてください。

 

A 「生活の中で、言葉の誤りや好ましくない用い方をしていることに気づくことは結構あります。僕

  は、それらに気づいた場合、自分の戒めとして心に留めはしますが、あえて当事者に指摘したりはし

  ませんね。だって、相手を傷付けることになるかもしれないじゃないですか?」

B 「私はそうは思いません。誤った言葉の使用などに気づいたならば、やはり指摘すべきだと思いま

  す。だって、私たちはこの日本社会において、日本語を用いて生きる日本人として、望ましい日本語

  を守る使命と自覚を持つをことが必要だと思うんです。Aさん、そう思いませんか?」

A 「良かれと思っても、相手を傷つけてはしまいませんか?」

B 「配慮した指摘の仕方をすることが必要だと思いますが、もし指摘してあげなければ、その方はずっ

  と誤った言葉を用い続けることになるかもしれません。それって、逆に愛のない行為ではないでしょ

  うか?」

 

 二人の意見交換はなおも続きましたが、みなさんはどう思いましたか? 実に難しいですね。私は、結論的にはBさんの考えを指示します。ただ、どう相手に伝えていくかは本当に難しいことですよね。

 コロナ禍前、修学旅行で沖縄に行きました。ある平和関連の施設を訪れた際にいただいたパンフレットにこんな記載がありました。

 

「戦争を知らない世代が人口の過半数を超え……」

 

 「過半数を超え」という表現は「頭痛が痛い」式の誤りですね。

 

「戦争を知らない世代が人口の半数を超え」

「戦争を知らない世代が人口の過半数となり」

 

などととすべきです。でも、私はそれを指摘することはできずに沖縄を後にしました。実に難しい問題です。