元旦の朝、初もうでにもいかず、家にこもってテレビを見ています。

NHKBS1での「黒部の山賊」を見ていました。

偶然、見たのですが、なんと三俣蓮華小屋の物語。そして親から山小屋を引き継いだ伊藤さんが、廃道になった伊藤新道を再び歩ける道に直す奮闘記でした。この道は廃道になって40年と言われていますが、実は、40年前と言うと1980年ですが、実は1967年に硫黄沢に入り込むために出かけていたのです。

1989年のアルペンガイド「立山雲の平」には伊藤新道が記されていますが、案内は書かれていません。

実は1967年の正月、私が所属していた山岳会の同僚が、正月に硫黄尾根から槍ヶ岳をめざして、稜線上で、夜行動をして雪庇を踏み外して硫黄沢に落ちたのです。私は

 

 

 

     

19日 朝から、遺体のある場所へFACのメンバーがそろって作業をする。
雪渓の上で、神出くんの遺体を表に出して、寝袋に収納する。ザイルに結び、沢筋まで下ろす。私のピッケルを支柱にして下ろし始めたときに、ピッケルのシャフトが折れた。
みんなで協力して、雪渓の切れる所まで下ろしたあと、タンカを作って遺体を載せ、それを男たちが担いで山道を行くのだが、湯俣沢には伊藤新道という三俣小屋への道があるのだが、廃道になっていて、橋も壊れている。みんな沢の中を歩いていく。悲しいけれど必死だった。彼を早く連れてかいりたい。みんなそのような思いであったと思う。

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間違いなく、伊藤新道はありましたが、第一の橋がその時すでに壊れていて、水の中をじゃぶじゃぶ歩いたことを覚えています。この道が出来れば、三俣蓮華小屋に入れるので、多くの人が利用するだろう。

湯俣小屋で河原に穴を掘れば湯船になって温泉を楽しめる。神出君のレリーフを埋め込んであるので、それを見に行かなければならない。あの事故から54年が過ぎる。

 雲の平は松本のメンバーと計画して、私が体調不良でリタイヤーしていけていないので、是非伊藤新道を利用していきたいものだ。