ダニエル・ラク著「インド特急便」から」、インドを学ぶ。その3回目として、イギリス植民地の影響を考えてみる。


インドはイギリスが植民地にする以前は、インドとアフリカなどを結ぶ商業のネットワークを持っていて、独自の経済活動をしていたという。


 <イギリスによる支配はインドに何をもたらしたのか。それは、交易と地場産業によって活気に満ちていた経済を、原材料の供給源へと変貌させ、輸入加工品を黙々と受け入れる消極的な経済へと変えた。>


これが結論だ。


<確かに鉄道をはじめとするインフラの整備はプラスの面もあった。インドという植民地を一つに結びつけ、地方の人々にまで生活改善のチャンスを与えたのだから。ただ、鉄道は住民の福利のために作られたわけではなかった。イギリスにとってインドの植民地支配は誇るべきものであり、インドを徹底的に搾取した。>


しかし、植民地の本質は、搾取的なシステムとなったということだ。つまり、上のフレーズで指摘したように、インドの独自の経済活動を奪ってしまい、単なる原材料の供給基地とし、さらにイギリスの製品を買わされることで、搾取されるシステムに変えられただ。

それで、インド人はイギリスが植民地支配から逃れて海外に出ていった。


インド人の労働者たちが国外へ職を求めるようになったのもこの頃のことだ。インドの土着経済の崩壊は貧困層や労働者階級の暮らしを直撃した。しかしイギリス政府はそうした人々の窮状に(全くとはいわないまでも)極めて冷淡だった。現在も、西インド諸島、モーリシャス、マレーシア、フィジー、そしてアフリカなどにインド系住民が暮らしている。>

<イギリスによる植民地支配の差別と窮乏を逃れて海を渡った人々の末商だ。イギリスの企業や資本家たちが、はるばるインドから契約労働者として連れてくることもしばしばだった。彼らが働いたプランテーションは産業革命のただ中にあったイギリスの工場に原材料を供給した。これほど悪質な、搾取的なシステムはほかにはなかなかないはずだ


カナダ人が見て「悪質」というのだから、中国や朝鮮の比ではないほどの搾取だと思う。イギリスはインドを踏みつけて産業革命を、言い換えれば高成長を達成したわけだ。7つの海を制する帝国になった背景にはインドの犠牲がある。

西欧の植民地にされたところはいずれも、その土着の交易関係・経済活動を奪われて、インドと同じ形態に・システムにされていくのだ。アフリカなどは資源が人間だった。それが「奴隷」なので、これこそ古代資本主義の「商品」と同じだった。


マックス・ウェーバーの「古代農業事情」という論文がある。日本語では渡辺金一・弓削達共訳があるだけだが、この新しい翻訳がほしい。昭和34年に初版が出された。

これは古代西洋のの経済史なのだ。この本を大学時代に内田芳明教授のゼミで読まされた。

この内容は

Ⅰ 序説 古代国家圏の経済理論

(Ⅰ)古代国家の設定

(Ⅱ)古代資本主義

   (1)古代国家圏の下部構造

    a.商品流通と労働階層

    b.古代経済の本質的特色の指摘

    c.資本主義的経営

     イ 資本

     ロ 価格・利益

     ハ 私的資本の蓄積

    (2)古代国家圏の上部構造

    a 国家形態と法

    b 宗教

Ⅱ 古代文化の主要地域の農業史


となっていて、1909年に書かれていて、1904年に書かれた「資本主義の精神」論を念頭に置かれていたので、「近代資本主義」の前提としての「古代資本主義」=「前期的資本主義」を体系的に理論づけしたものでした。

訳本の目次は上に書いたものではなくて、正直メチャクチャだったので、原文にあたって書き直したのだ。


私が「近代資本主義」というときは、この古代資本主義概念が前提にされている。中国の社会主義的市場経済なるまやかしの資本主義は、つまるところこの「古代資本主義」のままである。ただ商品に「奴隷」がないだけだが、それに近い形態がある。

イギリスやフランス、オランダ、スペイン、ポルトガルなどの植民地政策は、この「古代資本主義」そのものなのだ。

インドはイギリスによって搾取される対象となった。これは西欧の植民地主義の本質だった。19世紀から20世紀の時代はこの「古代資本主義」と「近代資本主義」が先進国の中で共存していたのだ。

アメリカは南北戦争で、近代資本主義が勝利したのだ。それは産業資本主義となって開花する。

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しかし、その時代を経て、インドが独立を果たすことになったとき、インドはイギリスから多くのものを受け継いだのだ。


<インド人たちはやがてイギリス流の価値観や手段を活用し、植民地支配のくびきからみずからを解き放った。彼らが活用したイギリスの言語、習慣、インフラは、今日のインドでも極めて大きな役割を果たしている。それらのおかげで、対応は決して早い方ではないものの、それなりに機能する司法制度リベラルな民主主義がインドに息づいているのである。>


インドはイギリスの生んだ価値観や法体系をもとに自らの独立をかなえた。解放運動を暴力によらず、非暴力で成し遂げた。ガンジーの行動は、イギリスの価値観に基づくものだ。

さらに「英語」を与え、「法治」を学び、「民主主義」を学んだ。

インドは長くイギリスの植民地として支配されたものの、そこから得たもの、または植民地支配を否定せずに歴史的事実として受け入れることで、イギリスの言語と法治主義と民主主義を身に着けることができるようになった。

インドは過去にとらわれることなく、歴史の前へ向かったのだ。

このことは、中国と朝鮮の日本に対する対し方と大きく異なる点です。台湾は、このイギリスに対するインドに近い思いを日本にもつかもしれない。つまり、支配者から何を学んだかが、その後の歴史を変えるのだ。慰安婦のことしか頭になく、日本が朝鮮に、また中国に何を求めたのかすら理解しないようでは、いつまでたっても変わることはないだろう。

インドを知ることで、中国と朝鮮を改めて知ることにもなる。

「香港」が中国と違うのも、イギリスの統治によるものだ。今後はわからない。


インドが将来、リベラルな大国になる、という根拠は、この植民地時代に搾取されつつも、現代に引き継ぐことのできる価値観が、普遍的なものだということだ。

インドと日本は「近代化論」の比較においてみると、インドの独立と日本の敗戦、1945年以後の歩みの違いが、現在の違いでもあるが、これからのインドは大きく変わり続けるかの世があると言える。それを次に検討してみる。

西洋的普遍的価値観を共有できる国と拒絶する国(文化)とでは、「持続的な成長」の可能性が異なるのではないかと言える。それが今回のまとめだ。