てっちん(ステータス)
Fallout3を数年前にプレイした時もその辺りの上手さを感じたけど、和ゲーはこの辺りくらいもう少し見習うべき。
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ハグ>> オープンワールドのシステムは洋ゲーだってまだまだ作り上げていないんですけどね。モッドツールを見れば分かると思うけど、Fallout 3だって、ゲームプレイとクエストシステムがひどく使いまわしになっている。スカイリムのRadiant Storyシステムの、クエストが突然変異できることは正しい道への一歩ですが、ゲームプレイはまだオブリビオンのような、3時間以内で飽きてしまう武器の連打だ。問題は半分、一人称のゲームのプレイヤーアニメーションが適当であることだろう。日本のゲームはまだ、自然なアニメーションでリードしていると思う。たまに、あるアニメーション(得に物理的)でこだわりすぎていることもあるが。
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てっちん>> なるほど。ちなみに自分が特に気になった点は、ゲームの没入感を邪魔しない、チュートリアルやイベントムービーのシームレスな部分だ。日本のゲームは説明が多く、その為にゲームの流れが途切れてしまうのが気になる。
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ハグ>> ああ、そうだ。最近の任天堂がむかつくほどがんがんそういうのを強いている。だが、それだけゲームであることは忘れていないと言えるね。

さて、Mirror's Edgeはプレイしたことがないから確信はないけど、そのゲームはいい一人称アニメーションの一例らしい。でもオープンワールドと、殆どの大きな洋ゲーがまだ失敗しているところは人間(NPC)関係だ。AIが複雑でしょうがないと言えるが、NPCの、プレイヤーの行動に対する反応は、現代でもかなりひどい。いまのところ、たくさんのAAAゲームがNPCをカットシーンだけに出していることでその点を避けている。いままでNPCが自然っぽく反応してくれたゲームは、皮肉なことに、オープンワールドでないしかも、主人公が無言だったゲームだ: Half Life 2: Episode 2だ。

(ネタバレ注意)最後のシーンでは、Black Mesaの科学者たちがゴードン博士(主人公)にロケットの打ち上げをさせてくれる。そうすると、皆が窓のところに集まって、「わー」と発射しているロケットを見つめる。これは多分、2回目のプレイスルーだったと思うけど、今度は俺も皆と並んで、ロケットを最後まで見ておこうと思った。もちろんかわいいアレックスちゃん(ヒロインって言ったところかな)のそばに立って、ロケット発射の途中まで来たら、そこでなんと。「やったな、俺ら」という感じでアレックスの顔ををチラッと見てみたら、彼女はその一見を、笑顔になって返したんだ。彼女はそうするようにプログラミングされたと思うか?そうかもしれません。でも、あの時は、プログラミングなんて考えていなかった。感動しただけだ。

洋ゲーマーが和ゲーの声優の腕や、台本の良さについてよく攻めているけど*、結局、キャラクターを生きているようにするのは、ほかに大事なこともあるだろう。たまにプレイヤーの自由度を封じてもなんでもいい。未来のゲームは、もっと通じ合えるキャラクターを出すべき…ではないだろうか。
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てっちん>> なるほどね。ある意味で、日本のゲームの演出はシナリオや声優に頼り過ぎていて、ゲームのシステムについてはコアゲーマーにしかわからない所に注力し過ぎてしまっていたと思う。まぁ、ここ数年、停滞していた日本のゲーム業界で元気がいいところを今月の東京ゲームショーで探してみる事にするよ。ソーシャルゲームばっかだったらすぐ帰るけどね。
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ハグ>> 俺がTGSに行って、そんな光景を見たら、何かの台返しをしてしまいそうだw ソーシャルゲームの数学的と心理学的な話なら長くなってしまうけど、とりあえずそれこそ「ゲームであることを知りすぎている」と言えばいいだろうか…


*得にいい一例はTPSの「Vanquish」だ。読んできた評論から分かったのは、ゲームプレイがすごく楽しいけど、台本も声優が馬鹿馬鹿しくて、うるさすぎると。

ちなみに、スカイリムの動画はまだ作業中。