沢山のお祝いのお言葉戴きまして、有難うございます!!

一先ず 誕生日の挨拶に代えて、
お付き合い戴けたら幸いです。

自分が見えていないもの事に対し、気が付いている人が、人知れず手を添えてくれる、
そうやって赤子の頃から沢山の恵みを受けて、人は育ってきたという事、
又、これから先も、そうやってお互い様でやっていくのが本来なんだという事を、思い出していました。

恩師が言ったのです。「人に言うぐらいなら、さっさとやってくれたらいいだろうよ」
それがずっと頭の隅にあって、ある時ポンと理解出来たのです。
そうだ。
この方はずっとそうしていたのだ。
誰に気が付かれる事もない様な事を、ずっと、人知れずやっていたのだろうと、

これが、大人になるという事なのかもしれない。
全体の中に必要な、自分のポジジョンが解ること、
公の自分を生きる。

自然界は勿論、人間であれば家族間だけでなく、田舎では、多くの近所の知り合い関係が、お互いを我が事というくらいに
思いやっていたと、
思い返して見ればそうだったのだと、気が付いたのは、自分が子を授かってからでした。

10代の頃、田舎の人間関係を、私は嫌っていました。
お年寄りたちがお茶を飲みながら、のんびり世間話をしている様子にほっこりする等と、
今でこそ 田舎ぐらしの豊かさを表現した様な縁側に、
心底冷たい目線を投げていた事を覚えています。
うちの嫁がどれほど酷いか、そういう事を祖母は近所の友達に愚痴るのですから。

祖母は、やりきれない気持ちをどれだけでも表現したい。
母の、言えない言わない関わらないという事で示した反発、
父の、言えない、表現できない物思いを持って、日々やるべきことに追われ過ぎて行く中で
そんな状況でさえ、これ以上ないくらいの思いやりで成り立っていた日常であり、私は、そこで後の必要を得ています。

当時、人が思いやる底の部分にある願いを、
私はいつの間にかくみ取ることが出来ない程に
余裕がなくなっていきました。

生きて行く事自体が、要求される多くの事をこなして当たり前という日常になり、
しんどくてたまらなかったのです。

子を授かった時に、子を愛せない自分を知り、
そこに何が起こっているのか、自分の育ちを振り返り、追体験し始めてから、
親代わりとして私を育てる事を引き受けてくれた幾人かの師が掛け値なしで大事にしてくれたお陰で、
私は自分の育ちの周りにあった、切ない程に尊い 思いやりの循環に、気が付いていきました。
いつの間にか個人主義になって行った田舎で、それは随分と消えて行ったのですが、

取り戻せる。

それを今後、活動していく田舎で、やっていけたらと思うのです。
 


例えば興味本位でウワサ話を楽しむ事も、
悪意、いじわるをする様なことさえ、
誰もが底に有る願いを適切に使えなくなった結果起きている心のねじれであり、
殆どの人が育ち方の癖で生きているという事。

外れないクセに四苦八苦しながら、
ここでどれだけの人が苦しみ、諦め、望みを手放していったかを思いました。

不安恐怖、疑心暗鬼が、人々をより安全な世界に導いた事はあっただろうか、
本当に一つ一つ突き詰めてみれば、
これは戦前、先人達がとても注意して取り除いて来たであろう子育てにおいてのタブーを見る様な心持になるのです。

ご自分のもの事の判断が何に由来するか、
そこに意識の光を当てた時に、
これを変える事が出来ると思えたら、人生希望しかない。

私は幼児期に被った體の緊張を外す為に10年以上を費やしていますが、

終わったのに又と思いながら、今、2020年から3年程経験した、全く別種の体験も、外す必要があり、
今の課題の一つとしてやっていきます。

私たちは、起こるもの事に乗れずに、振り回されているように感じる時、體に強い緊張が残っていることに、もう少し意識的になれればいい。

これが、無意識のためらいの元になっているから。
不安恐怖が内在化していく前に、ここで、泣いたりごねたり全身で、その感覚を體に通して体験することによって、消化していけたらいい。

戦後教育は、子供が痛い思いをしたり泣いたり、何かしら訴えてくることに対し、気を散らすという事を勧めてきた。
だから昭和世代が出来ないのは当たり前だし、うっかり他者にも気を紛らわせる様な言葉かけをしてしまう。

ネガティブに捕まってしまう恐怖もあるかもしれないけれども、
心も體も、どう感じているのかという命の欲求に対して、
ごまかしのない心根を育てたい。

その体験をどう使うかは又、別の話だから。

 
今泣いている人を目の前に、すっと手を添えられないのだとしたら、そのためらいは何なのか。

慌てている自分が居たら、そのご自分の気の焦りこそに、手を添えていくのだ。

忙しさについ流れてしまう時間にブレーキをかけて、
立ち止まって
自分のも、ついでに他人の分も、しっかり手を添えていく、

転んだ、ぶつけた箇所に手を当てて行く。
嫌な事を言われたと愚痴る人を、ちゃんと泣かせてあげる。

泣いている人に対して落ち着かない、どうしていいか判らなくなる、不安になる自分が居たら、
そこに降りて行く。そこを感じていく、
その、ざわざわの體の感じから、自分の體に意識を合わせていく。

これは全部同じ事なのだ。

その瞬間から、自分の人生は進みだす。

體に残ったショックを外し、柔らかな心と體で、再度人生に挑んで行ける様に。

この習慣が、この時代の人達の中に浸透していったら、
殆どの問題は、解決するのではないか。

これを、先ずは自分に対して、作業の手を休めてでも、していけたらいい。
目の前で転んだ人に、出来る範囲でしていけたらいい。

もしかしたら、
もっと効率の良いやり方はあるのかも知れない。
何となく、意識の使い方でポンと外せる様な気もしているけれども、
 今は、誰もが出来る、このやり方で。

これが、地域が家族になるということでも あると思っている。
人は様々なクセを持っている。
私も今は、対人恐怖の方が先に来る。
それでも、この、體に残るショック、力み、緊張を、コツコツ手当てしていけば、いつかは無理せず出来る様になる。

私は、人がどれほど大らかに心を開いて生きれるか、知っている。
でも、無理する必要はない。

令和は自然の推移が何かに妨げられ、あまり綺麗には働かないところもあるようだけれども、
もう、恐がることはない。
ちゃんと意識を向けて、行きたい方、嬉しい方へと歩んでいこう。

『動ける人が動いて、世界をより幸せなところにする仕事をしてくれている。』
先人達に敬意を表し、自分もそうするのだと、
2017年に「自分の仕事を通して目指すところへの考察」(HP記載)で書いたことを、
思い出していました。

そうしたら、幕末の水戸学が、何故かここに繋がったのです。
書物を読んでも解らなかった、彼らの見ていたもの
大きな波として今もそれが続いている事を、

誰かが、私たちを見守っている。何かが進行している。

先人達が守った未来というものがあるのだという事を、信じられます。

解る人が、何かアドバイスをというよりは、実際にはとても沢山の手が、すっと添えられている事、
2017年に記した時には、それはどこかで判っている様な事だったにもかかわらず、
恐怖体験後に疑心暗鬼の3年を過ごし、そんな信頼を、すっかり忘れていた事に気が付きました。

私はその信頼の上に生きていた時代を思い出して、初心に帰る気持ちです。

忘れない様に書いておく(笑)

 



今は滋賀の大津にいます。

20日前後に常陸に帰ります。
何かあれば連絡ください。




以下は2019年に書いた記事「傷の手当と安全志向」
https://ameblo.jp/hagoromo321/entry-12494312568.html