夕暮れの鮮やかな空を飛ぶ鳥達を見ていた。

 

 

  

刻々変わりながら色を落していく空の中で、

やがて、鳥達は帰り去り、コウモリが飛び始める。

 

コウモリは、いつの時代にも、生きつづけたんだろう。

 

50年前は、見事だったという水門の蛍。

この世界に、この光の夜が無くなると、誰が思っただろう。

 

子供の頃の命の密度。

小川はそれこそ、宝石箱だったのだ。

 

動けば沢山の虫達が飛び立つ足元、その中で、当たり前に育った作物を覚えている。

土が違った。

日差しが違った。

 

何もかもが変わってしまった。

 

外来の植物、虫、小動物、鳥。

生態系が様変わりして、

年々難しくなっていく作物栽培を、実感している。

 

繊細なもの達から消えていく。

私が繊細な感性を使うより荒っぽい質ばかり使って生きてきたように。

背高泡立ち草が辺りを埋め尽くす様になり、

田にはキシュウスズメノヒエが入り込み、

今まで見たこともない形状の小さなゴキブリ系のこたちが、この2~3年でどこにでも姿を現すようになった。

 

でも、そうしながら、在来に出来なかった強い力で、大地が、何かを守っていることを思っている。

傷にカサブタが出来る様に、自然の推移で起こることは、悪いことではない。

 

一気に席巻した外来動植物を、元のさやに納めることは、もう出来ない。

その存在が、それぞれのおさまり処に納まっていくのを信じて、

私達は私達が守るべきものへの影響を予測し、

生態系の推移を読みながら自分は自分の出来る範囲での手を打っていく。

 

 

その一手が 茨城県北まこも会。

流域生態系を復活させる為に必要な、膨大な仕事を可能にする大義名分を、皆のお蔭で、ここに掴むことが出来た。

 

この利益優先の社会で、ちゃんと利益を出しながら、守るべきものを守る。

 今年、水門の清水川が四面コンクリート張りになり、消えた蛍を、

私は何としても復活させたい。

 

コンクリート川の代わりに、田に水を流し続けるという単純な事さえも、どれだけの準備と覚悟がいることだろう。 

   

地域循環の仲間内でも、まだまだお互いが知り合い切れていない中で、ドタバタ運営をしてきたが、

まこも会も種が芽を出した程度で、会員の皆様には申し訳なかった。

 

来年は、栽培とその販路を軸に、形にしていくつもりだ。

今月も、仲間が販路開拓をしてくれて、とある事業者と話をさせていただける。

仲間がパンフレットを作ってくれた。

    

幼少期から、黙っているのが最大の身の保身であったから、会話力は小学生レベルの私だけど、

そういうのを最近はやりの発達障害と言うのです(笑)

その代わりに表に出る事を引き受けてくれる人が居る。

私がこのことを諦めない限り、助けてくれる人達、共に歩んでくれる人達がいてくれる。

だから、私はこのまま突き進む。

 

 

遺伝子組み換え食品を世界で一番食べてるのは日本人だって、

栃木では市民が苦労してつくった種子を守る条例が、ひっくり返された。

ゲノム編集や遺伝子組み換えの研究機関が県内に4社も入ったからだという。

自然素材と伝統製法調味料で作った加工品は当り前に高額で、そこまで特別なものはいらないと言われるし。

  

一年後にはスマートメーター義務付けも始まるって、

これは一度採り付けられたら、個人で勝手に外す事は出来ない。

一日に40回以上のマイクロ波が飛ぶということが、放射能と、どう違うのですか?

放射能も随分どんぶり勘定が板についたけど、この件さすがにスルーされるって、

どうすりゃいいの? 

 

管理社会の行き着く先は、多分、それをおっぱじめた人間にとっても悲惨なものではないか。

取り返しがつかないと、誰もが思ったとしても、

  

頓着しない。

  

子供の頃から社会の理不尽さは当然のようにある。

個人の正義はただの偏屈。簡単に折られてしまうなら

覆い、保護膜を作って、太く揺るがなくなるまで育てよう。

 

私には、最終的にどこに繫いでいくかという明確な手がある。

    

日本を代表する学名を持つ鳥、

「ニッポニアニッポン」

佐渡で、朱鷺が、徐々に放鳥され野生を取戻しつつあることを思えば、

私はそのことが希望だと、思っている。

 

これは、国策なのだ。

つまり、国が、この鳥が野生で生きていける環境を、手放していないということ。

 

これは、薬剤散布の無い農村の在り方を、残すこと無しには、成し得ない。

少なくとも一部、その様な農村を作っていくことの可能性が、閉じられていないということ。

 

これを切り札に、

有機、又は自然栽培の循環型農法が当たり前に行われる特区を制定し、

特徴的な農村つくりとして、

地域的に朱鷺の放鳥を目指すことは、充分に目指せると思っている。

 

そのことを目指せるという、

叶う叶わないに関わらず、

そのことを命題と出来るということそのものが、

共生文化を取り戻す可能性を、

残してくれる。  

 

これを実現させるのが、

地域循環プロジェクトの最後の仕上げだ。

   

自然の理に叶う活動は、決して消え去ることはない。

生まれては消え、又再挑戦で、調和バランスの構築。

それが自然の推移であり、人間社会のこの有様も、本当は自然の一面であるからだ。

  

人類が滅びるという選択も、勿論自然界にはあるだろう。

でも、私という個人は、そんな事を考えるより、自分の好きや大事を活かす方向に生きて行く。

滅びようと続こうと、生きている間の時間って誰にとっても限られているから、

 

つまずいたらやり直して、間違ったと思ったら、御免なさいして、

帰りたい未来の為に、一手一手、選択していく。

自分に降ってくる物事はお陰様の采配。必要なら受けるしかない。

 

そして、そういう腹をくくった個人が繫がれば、恐いものはないだろう。

それぞれの活動を繫いで、

点を、線から面に!!

 

そういう訳で、 

なんちゃことはない。

それぞれが、それぞれの縁や大事を坦々とやっていけばいいだけだ。

 

 

100年後ぐらいのスパンで、

無理することなくその青写真を描いて、世代を超えて、歩んでいきたい。