ある日、親と一緒にご飯を食べる時間が、とても尊い時間に思えて、
急に、自分の残された命の時間を意識する様になった。
けして上手ではない立ち回り、
不器用なくせに、精一杯片意地を張って、生きて来た、
子どもを思い、子供に理解されず、
心をきしませながら無我夢中で生きて来た、親が、愛おしい。
この人達とこうやって過ごす日々は、ある時、二度と手に入らなくなってしまうのだと、判った。
早く許されて帰りたいと思っていたのに、
分かれ道を示されて、以外に簡単に、終わってしまう可能性を見せられて、
これから先の時間を、
もっと大切にする気になった。
もしかしたら、親より早く、私が消えるかも知れない。
そう思った時、
地域循環構想も、親や娘のことも、長女の立場も、
今まで馬鹿みたいにプレッシャーだった、自分の背負ったものに対し、
本当に思い残す事のないように、形作っていこうと、気負いなく思えた。
不思議なくらい静かに決意があった。
ついこの間まで、彼だ、友だ、人間関係だと、嵐の様にすったもんだしていた内面が、
急に、静かに定まり、
今、余計な夢も希望もいらない。
そういう未来の為に心を揺らすこともなく、
ただ、
やることをやっていこうと思っている。
ずっと丁寧に生きて行きたかった。
辺り中を大切にして、ゆったりと、
そう出来なくて、目先のやるべきことに追われ、毎日ジタバタし、
いつまでも、本当に生きたい在り方を、先送りしてきた人生だった。
これから、ようやく、落ち着いて、人生に降り立つ事が出来る。
とても嬉しい。
家の敷地の後ろ。ここにちょっとした気配(笑)ここにもしかしたら過去生の自分が埋葬されているのかも知れないと思った