パートナーシップとは何か、

幾人かの師の一人である本郷綜海が教えてくれた。
世界と自分との関係性。
それが、
パートナーシップの象徴なのだと。


私はその言葉をヒントに、ずっと世界と私との関係性を見続けてきた。
 

私は陣痛促進剤と吸引で生まれてきた世代だ。
保育園から教育も、社会が求める仕事の範囲も、
年を取れば 老人ホームから病院、死に方も、管理の行き届いた
生きる事の何もかもが決められたレールの上であることを要求される感
  

急かされる感じ、
社会に対し、漠然と、侵害される感を、
なかなか外す事が出来ないで来た。
  
私は長い事社会を恨み、 
いかに、社会に囚われずに自立し、
自分が望む人間の在り方が出来る安全な場を、
社会の中にひっそりと創り上げることが出来るか、
そこに希望を向けてきた。
 
社会への被害者意識、
そういうものがあることに、気が付いていながら、
たまには心を許せる相手に堂々社会の恨みつらみを話しながら、
そんな自分の在り方を、
辞めたいと思ってもいた。
 
バクワン和尚の講話録なんかを、よく読んだ時期。
日本の社会の中ではタブー扱いのカタルシス、閉塞感を打ち破れない中、
バグワンの痛快な社会批判には最初の内こそとても癒されたけれども、
 
私はだんだんに、
自分が言いたいことそのものが、自分の在り様を示している事に気が付いていった。
  
自分の社会感、世界観が私という人間を限定していること、
その思い方は、入れ子の様に、人やモノ事へ臨む自分の在り方の中に入り込んでいた。
細胞が各部位で違う働きをしながら同じ機能を全部兼ね備え、連動しているように。
一事は万事。
  
 
実はいつでも違う見方が出来て、
どんな世界に住む事も、気持ち次第だと言う事、
 
  
そうして、私はどうしたいのかと、
自分に突き付けられて、
 
私は、
平和な世界で安心して愛し愛され暮したい。
  
その為にどうすればいいか、
長年様々な視点でワークを積むうちに、
私は、物事を変えていくコツが掴めてきていた。
 
自分が自分の在り方を、一つずつ許して行ける様になる度、私の心は自由になり、
外の現実に対して、寛容になっていった。
 
 
自分が望む在り方を手に入れる為に、
安全な場所で自分から心を開き、自分の住む世界を信じてみることをしはじめた私は、
人と良い関係をつくれることを、段々に体に刻んでいけるようになった。
 
出来るという感触から、
外の世界に関わる勇気をもらい、
外の世界と根気強く関わる事で、私の周りは見る見るうちに変わっていった。
 
そこで覚えたこと、
 
世界は、自分が変わることで変えていけるということ、
  
私の小さな世界が変わり、そこに関わる殆ど全ての人が変わっていった。
   
  
 
未来ばかりを見てきた。
そこに希望があるから生きていけると、
でも、本当は、今ここに深く入り込み、ここの密度を上げ、この瞬間を存分に味わう事、
それこそを目指さなければならないことを知っていた。
それを実感してもいた。
  
ワークや大事な場面で、はっきり意識的に、そのことを体験してきて、
でも、いつまでたっても、そういう特殊な場面以外では、
この大事な今の連続に入り込めないできた。
  
私には、何かが足りなかった。
 
それは、私の課題だ。
 
 
 
子どもの能の稽古をきっかけに、唄って踊るということに身を投じる事を自分に許していくようになった時、
 
そこで出会う私は、
私の知らない自分だった。
  
幾重にも重なる自分が居た。
どれが自分なのか、どれが他者なのか、
又、全てが自分なのか、
もしかしたら、世界の全てと繋がってしまうのかも知れない。
底知れない自分、

その自分に私はつり込まれた。
 
 
私は私が知りたい。
私は、本当の自分自身に帰れたら、それで充分満足。
帰りたい未来は自分の真ん中にある。
そこを開いてようやくたどり着ける世界には無限の可能性がある。
 
何故かはわからないけれど、
そこから様々なビジョンが湧き出し、
多様な可能性を、どう扱っていいのか判らない私、

この自分をどうやってか統率して、
まだこの世界の何処にも無い未来を開きたい。

私はそこを目指している。

  

  

今、苗代に稲の種まきをしている私の田に、一面に咲いているタネツケ花♡食べられます(笑)