受容。

  
どれだけ自分の現実を受け入れ、そこに安住できるか、
当時覚えた自分にとっての足元とは、自分の内面であった。

 

心と体は連動しているので同時進行が良いという先輩のアドバイスを受け、

野口整体の指導員の元で月に一回整体を受けながら、
自分で出来る事、

セラピストに親代わりになってもらい、大変な時期を支えてもらいながら、

自分の内面の扉を開いていった。 
  

    
私の育ての親は、バグワン和尚の弟子で、
その為、バグワン和尚の手法が私が最初に出会ったワークだった。
  
バグワン和尚のワークはパワフルで合理的で洗練されていた。

初めて自分の感覚を開く事、心を開く事をし始めた私は、
当然、今まで苦しいから閉じていた、
その根本の苦しさと対面することになる。
 
感じては生きてい行けない苦しみを感じる訳だ、
そこから逃れる為には、早く良くなること、
この状態を早く経過してしまうこと、
その為に、毎日が死にもの狂いだった。


大嫌いなダイナミックメディテーション。
良くなりたかったら、こんなクタクタになる半端ない一時間だって、背に腹は代えられない。

事務所の一角に二畳の畳をしいてもらい、
毎朝六時、まだ、営業前の一時間、私は大音量でこれをやった。
http://www.osho-japan.com/guide/dynamic2.html
 
最初の10分、ブレス。
ひたすら鼻から息を吐く。
ポンプの様に力いっぱい全身で、
鼻から内蔵まで出す勢いで、
これで、体に張り付いている感情が解凍されて動いてくるのを感じながら。
 
次の10分、カタルシス。
動いてきた感情を一気に出す。
最初こそ多少大げさに騒いで勢いの通路をつくってでも、
泣き喚き、布団等に手当り次第ぶつけて出す。
衝動が無くなるまで、出るもの全て出し切る。

次の10分、手を上に上げたままジャンプして、両足でドスンと着地、
その衝撃をFuという声と共に性のセンターに打ちつけることをし続ける。
日本ではタブーの様に扱われる性を、体の中で生きる力として使って行く為に、
詰まっているエネルギーを通過させていく作業。
 
ストップという声で10分後突然それが終る。その場、その動きで体を止め、
体の感覚に気が付いている15分。

そして、全身で自分であることを喜び祝う15分

このワークは、
変化する為に全く何の手立てもないように見える全ての人にとても有効な瞑想だと思っている。
とにかくこれをやっていくだけで、根本的な生きる気力を取り戻す事が出来る。


この訓練で、今、この体に気付いていると言う事の意味が分かってきた自分。
ここから、瞑想とは一体何なのか、
座禅、日本の伝統文化全てに一貫して通っている一本の筋を理解し始めた。


生きるということが少し判りかけて来た自分。

ワークを通じて、何があっても意識一つで感情を経過させる術を覚えていった。
 

 

  
無力感が悲しみに変わり、それが怒りに代わる。
そうして、その怒りに挑んでいく勇気が湧いてきて、
生きる気力を取り戻す自分の内面の変化をずっと見てきた。

 
  
私が何をしてきたか、今、それを、何故か思い出している。

今、私が何をして行かなければならないのか、
沢山の事が同時進行で、散漫になりがちな今、
一本の筋を掴みたい。

ここ数日湧いてくる過去の経緯、
これは私を何処へ連れて行こうとしているのだろう。




コミュニティで私を面倒みてくれていた上司が、この頃、急激に変わっていった。

  
  
社会への反骨精神から脱サラし、有機農業と加工でのコミュニティを始めた彼のやり方は、
一見何の秩序もないただの場であるのに、いつも多くの人でにぎわっていた。
その根本には、誰も排除しないという理念があった。

  
心や体に障害という手帳をもらった人達、NP0や様々な活動体の人、学校の先生や学者 科学者、

社会的にいろんな肩書やレッテルを使っている人達が、ここではタダの人として、
それぞれが、それぞれの今のありのままを許されて、共に居た。

  
それは、
その空気感は現代日本にはないものだった。
そういう、ある種奇跡の様な空間を創り上げていた彼、
 
でも、
彼は、ずっと自分の身をギュッと固め、自分を抑える事を当たり前としてきていた。
場は、豊かではあったけれども、
彼が、自分を抑えて人の話をひたすら聞くという受容の姿勢が支えてきたもの、
そのつけは、どうやら彼の内面に溜まり、又彼の家族にも溜まっていた様で、

表向きには私達の目には見えないものだった。

そういうものが全部一反崩壊し、
彼の人生は一変し、
彼自身が、人前でも芯をすっと持ちながら感情豊かに彼らしく静かに居るようになり、
多大な労力とお金をかけてワークしていた私より

さっさと今に居られる様になってしまった(笑)
 
 
私は彼に目をかけてもらい 育てられ、
公共工事で移転させられたコミュニティの新天地で、
先任がお産の為にパンを辞めた後を引き継がせていただき、
のうふのパンを主任し、
その後コミュニティの運営にも関わらせてもらうことになる。

私はいつか、彼が創り上げた奇跡の場、震災後にたたまれてしまったあの空間を、

別な形で引き継ぎ、この世界に置いていくこと、

自分の仕事がその役割を含んでいくことを、

自分に約束している。