彼女は出会ってすぐに、私に言った。
もう大丈夫だって。
 
当時娘を授かりワーク三昧の大きな山を越え、少しずつ落ち着いてきた20代半ばの頃、
仲間と月に一度、「今ここ」に居る為のグループワークに通い出した。
その会を紹介してくれ、
様々なスピリチュアルな宇宙の話しをCDに焼いて配ってくれたりした彼女、
私の為に時間を取って、ココスで個人的に話をしてくれた。
  
私はちょっと引っかかったけれど、
その違和感を、忘れることは無かったけれど、
でも、
誰かが関心を寄せてくれることが泉で、
  
諦めて人から遠ざかって生きて来た時間を取り戻す様に、
関心を寄せてくれる親程の年齢差の幾人かの先輩方と関わらせていただき
その人達の気持ちに答えたいと思っていた。

つき合い方が分からなくて、沢山の言葉のどれを選んだらいいのか判らなくて、
何か言う度に不安の嵐に入ってしまう私を、
そういう、何やら傍目からは判らない葛藤を抱えた私を、
そんなことには頓着せずに可愛がってくれた。

何も言えなくなる程いじられてきた私は、適切な距離の取り方が判らない。
子育て時期に入った時、母親像を上書きする必要から、
大きな懐で抱え込んで守ってくれる母親、何があっても見捨てない母親の様な存在を
欲していた。
だから、あらゆる人の、人への対し方を興味の対象とし、
どこまで出せるのか、どこまで出すと人は参ってしまうのか、
その見極めを、
先輩方相手に
本当は弱くて、普通の人達だったそういうところを判っていたから、気をつけながら、
でも、関わるって やはりそういう部分をぶつけて傷つけてしまう事もありながら、
それを申し訳ないけれど許してもらいながら、
育ち直しをテーマに、人との関わりに開いていった。
 
 
彼女は、私以上の辛い成育歴の話をしてくれた、
それを乗り越えた自分だから私を助けたいと思ってくれた。
 
本当は乗り越えていないから、
似たような成育歴の苦しみに雁字搦めの私を助ける事で、
自分の問題が終った事にしたかったのかも知れない。

この世界では、そんな事は本当によくある話で、
私だってそれで手痛い失敗をしている。
だからって、
共依存だろうが勘違いだろうが、
関わるうちに相互に作用しあって、何かが良くなっていくんだから、
人間なんて、良くなりたいって必死になっていたら、
悪くなりようがない(笑)

その匂いがわかる私が、ほんのちょっとの配慮を忘れなければ、いいだけのこと。

彼女が紹介してくれた講座に通い、必死になって今に居ようとしてきた私が、
ある日彼女と向かい合って、
彼女がその時も、他者へ希望の言葉を振りまく事で、自分の人生から逃げている事、
今に居る事を私に教えてくれた彼女の方こそ、今にいないという事を、
突き付けてしまった事があった。

そういうつもりもなく、たまたま今に居る訓練仲間の輪の中でのお喋り最中に、
うっかりやってしまった。
自分が出来ない出来ないって必死になっていたからこそ、
出来ている時間の奇跡に入り込み過ぎて、
相手への配慮が入り込む余地なく、
自分の中の本当の一点がすっと出て来て、

たった一言で、場に何が起こっていたのか、その場の全員が気が付いた感、
相手に、決まりの悪い思いをさせてしまった。

その事を、時々思い出す。

思い出しては、彼女に謝っている自分と出会う。
  

彼女は、原発事故の後、
死んでしまった。

自殺との噂で、その死は伏せられてしまった。

お葬式にも行けていない。


鋼の様に強く、
何でも判っている様に見せていた。
沢山の不安や葛藤を見せずに、有難うございますって波動を上げるって、
全てが良くなるって信じようとしてきた世界を、原発事故は壊したかも知れない。

 
可愛らしい人だった。私はその人のとても美しい影を見ていた。
  
  
潜在意識に入れていく、そうでありたい自分像、
それで人生はキラキラに変わって行くと言う。
確かに人が嬉しくなる言葉を選んでる方が運気が良くなるのは当たり前だ。
又、思いこむ事が出来たら大成功。思い通りに事が運ぶ。
信じられたら山でも動く。そういうものだ。
 
でも、本当の自分の気持ちを置き去りにしてそれをやっては、絶対にダメだって私は思ってきた。
私が本当はどう思っているのかさえ判らず、感じる事が出来ない自分を終わりにする為に、
カタルシスを基本とするワーク、今に居る訓練をやり出して、
感じることは苦しかったけれど、どんどん自分が自由になっていくのを実感していて、

毎日、毎日、ただ、自分でいる為の戦いの日々、
だから、判っているはずの仲間には、
厳しくなってしまっていた。
  
もしかしたら、もう少し丁寧に、時間をかけて関われていたら、
何かが変わったかも知れない。
もしかしたら他の仲間同様、同じ道を、未来の希望と共にずっと歩んで行けたかも知れなかった。
  
 
今は、絶対こうだって何かを定めない事にしている。
ただ、瞬間瞬間にある答えを選びたい。

何がその人にとって大事か、
いつでもある時急に、思いもかけず鍵を手渡される。
 
その時、扉を不用意に開けてしまう事がないように、
少しずつ、その向こうを相手の手を離さずに、共に探って行ける様に、

手渡されたものを見極めて、
その力を加減して使っていける力量がほしい。



この事は、急に思い出して書きたくなった。
だから書く事で私が何を知りたくなったのか、探っている最中。


ただ、

疑心暗鬼の螺旋階段と、
世界とのパートナーシップという、題名が
(笑)
出て来ている(笑)
  
どこに行き着くか、
又続きを書いて行くね。