くそ~~苦しいよ~~!!

  
我慢しない、体の体感として残さない。
意識を変える。
しかし、所詮自分レベルというものがある。
それが求めるものへと意識は降りていくのだから、
ほどなく元の木阿弥。
 
別な事に夢中になっていればいいのだ。
そんな日常が、物事を過ぎ去らせてくれる。

おいおい、一体私はどうしたいんか?

  

邪魔にしてると、本当に過ぎ去った時、後悔しないのか?
子どもとの時間と一緒で、煩わしさも過ぎてしまば、もっと大事にすれば良かったなどと思うではないか、

  

本当は、愛したい。

  
ずっとこの体感に寄り添っていたい。

痛くて苦しくて、体がつらい、その中にどんどん入っていって、その体験を満たしたい。

  

そんなことやってては日常がおぼつかない。

  

ねえ、
いつか、いつか、これを静かに見守っている先に、
この先に、
満たされる時が来るのだろうか?
ずっと望んでいるその時に、辿り着けるのだろうか?

  

何の保証も無いのが人生。
誰の話も本当に自分のことには当てはまらない
自分で自分の大事を
とことん大事に。
 

 
結果なんて一瞬。
それ以前の膨大な時間を、
もっともっと命の時間として生きて。

  

結果よりも大事なのがプロセスだって、

例え砂の城を作っているのだとしてもだよ?

生きているってどういうこと?
何を構築しても、死んでから持ち帰れないんだよ。
それって砂の城と同じじゃないか。
 

死んだ人の後悔は皆、
もっと愛すれば良かったって、

身近な人達を、

大事だった物事を、

この世界を
  
もっと思い切って、
もっと心を開いて、
もっと生きている時間を存分に 味わって
 
  
頭脳も体力も、社会力も敵わない、
自分がどう生きるか、何を大事にしているのか、

揺るぎない自分軸

 
世渡り上手になっても満足出来ないでしょう。

大成するより、人間社会枠よりも大事にしたい。
今、

生きている事を。