家族が皆風邪をひいて、先週は沈没状態だった。
母は今まで握っていたものを全て放棄し、3日寝込んで、
お蔭で、shop風邪ひき。オープン出店を見送った。

それは、私が私の思い癖を変える為の訓練になり、私は「霧の抵抗」に合った(笑)

  

  
長男が嫁を追いかけ出て行った神永家の事情で、次男の父が呼び戻され、
なだれ込む様な運命の波について行くのがやっとだった母は、この家で自分の揺るぎない居場所を築くという積み上げが出来なかった。
  
ゾウの様に大雑把で前しか見ない母の後ろには、やり散らかしが残っていって、家族はそれをなかなか受け入れられなかった。
長い間母は、文句だけ言われない様に手早く必要をこなしてやり過ごしやり過ごし、外に仕事を作って逃げてしまっていた。
  
そんな彼女が、私が家で店を出しカフェをつくると言ってからは、
流れを楽しみにし、嬉々としてカフェの本、田舎料理の本を借りたり買ったりして読みあさり夢を膨らませていく様になり、
私は嬉しかった。
  
自分の居場所、自分の立ち位置を、家族の中で自己実現的に確立するということを、
今更だけれども、ようやくそんな余裕が出てきたのだろう。彼女のすることは、積み上げられる物事に変わっていった。
 
とにかく責任感というものが苦手らしく、長い間母は、自分からという感じではなく、相手を手伝うスタンスでいたから、
実際は手伝うという立場で自分の仕事に口を出す母が、邪魔で困る自分をなだめすかしながら付き合ってきて、
私は自分が母の城をつくってさし上げるという使命感で、けっこう重たかったけれど、
  
去年、いよいよ私が拠点を家に移してからは、
母は主体的に動く様になり、出来る事はどんどんやり、物事を進めてくれる。
それはとても有難いことで、私は去年、どれだけ助けられたか知れない。
 
 
 
しかし、
ここのところ私は、子供の頃の追体験をしていた。
 
出来る事も取り返されて自分を出来なくさせる母。離れて、さっさと何でも一人で出来るようになった経緯があった。

母は馴れない他人の家で誰にも理解されず、毎日自分は出来ない奴だと叩かれ続けるストレスから、自分の価値を示す相手が必要だった。
だから子供に全部そのしわ寄せが行くわけだ。
  
理屈は分かるから、私はとっくに許していたと思ったけれど、
まだこんな気持ちになるってことは心では超えていなかったんだな。
  
自分がいっぱいいっぱいの時、母は自分が全部やってあげているという自負心を発散していて(笑)
それは子供の様に可愛いことなんだけれども、
私がつくった場所はいつの間にか毎日母が使っていて、かまどに火を焚き、毎日芋を焼いてくれている。
そうして汚してそのままだったり、やらない私に圧力があったり、う~ん、
面倒だから、母が使っているところには近づかない、そういいう気持ちになってくる自分を見ていた。

  

  

友が、ハタチまでは親を育て、二十歳から自分の人生だと言って、

子が親を育てるという事は思っていたけれど、

そういうものなんだと改めて言われると、

それは大まかな目安なんだろうけれども、成程、覚悟してどっぷりやらんと という気になる(笑)

私は18歳ぐらいまで沈没していて、親育ては娘が生まれてからだから、順繰りズレているのね(笑)
 
  
ひと月前から母が、太田朝市で再開するshop風恵ふきオープン出店をどんな風に彩ろうと、わくわく考えていた。
そうして、正月にはいよいよ、私を急き立てはじめた。
    
私は20年ぐらい溜まった書類の山の整理や、加工所の棚つくり、膨大な仕事の今年の振り分け計画でいっぱいいっぱいだったけれど、
そのパッションに押されて有難くそちらへ気持ちを向けることが出来た。
  
母が綺麗な押し寿司をつくるって事になり、その他二品ぐらいも考えていて、
私はかまどで出来る事をやっていくのが この加工所活用の積み上げなので、そうすると全部 燻臭がつく(笑)それをウリにするしかないと、
日持ちのする「いぶし干芋」と、前日焼きの「いぶし玄米蒸しパン」等をつくる計画になった。
で 試作品を作りながら、母が出来ないこと、商品化する為のもろもろは全部私が準備する訳なので
パッケージや全体のレイアウト等考え、のぼり旗をつくっていた。

出店日はIBARAKI自由大学のプレゼン日と重なり、私は現地では一時間出店の段取りをして後は母に任せる計画だった。
前日は友人が手伝ってくれる経緯で出店とは関係なく「彼岸花移植会」をすることも決まっていたけれど、
去年までの自分のやり方、やると決めれば全部やれる強行仕事。
まあ、準備をキチンとやれれば全部こなせると踏んでいた。

しかし、母がダウン。
では、全部自分がやるしかない。
ここに生理の二日目が重なって(笑)体温は下がって動きが鈍るし、
では、自分が出来る範囲でということで、思い描いていた一つ一つのイベントに用意出来る質が段々下がっていくのを
あれあれと、ため息つきながら進めていた。

19日の彼岸花移植会、四人が来てくれて午前中に作業が終わり、ええ!?そんなに早く終わっていいの?

超美味しいお昼を解放感のある木立の中のスペースで皆で食べて
次回はクワイの収穫をと言っていた経緯があり、クワイ好きな友のお蔭で、クワイ収穫に入り、
その後皆とさよならする頃には、明日の不安は忘れていた(笑)

友人が時間をくれて、遅くまでお喋りしていた。
その中で、自分の中が整理されていくと同時に、新たに考えなおさなければならない課題が出て来て、
友が帰ってから、その課題がずっと私の意識の下の方を流れていた。

明日の朝市は出店を休もう。

何より大事な人生の方向転換。今年、私は何を大事にし、何に力を入れていくのか、
それを、整理する時間をもらった。

  

  

    

  
20日    
土日だから当たり前だが、朝市主催の市と電話がつながらず、
当日の朝、出店している忙しい最中の友に連絡を繫いでもらい、
   
実は私はこういう事が苦手だ。
相手が忙しいのを判っていて連絡するのが恐かった、嫌で嫌で葛藤したけれど、
相手はこころよく役所のスタッフに繫いでくれて、

それにとても助けられた。
何かこういうことへの抵抗に、トライしていく事の勇気をもらった。
  
次はIBARAKI自由大学へ。
人との関係性でぐちゃぐちゃになる自分に用心しながらも、大した事にはならず、
ただ、毎度おなじみ、流れの中で又余計な事一つ、関わるはめになり、
まあ、それも何かの縁だろうとか思いながら
久しぶりに水戸の街をめぐる機会に恵まれ、気が付くと町は、常盤の神様の神気に包まれていてた。

 
心地よい偕楽園の気配に満ちていて、それはいつもと違う事がはっきりとわかる程だった。
その気運は私に色々便宜をはかってくれた。水戸の町中で何処へ行っても全くお金を使うことなく、本を一冊プレゼントされ、駐車料金さえ免除され、
よく来たねって歓迎されて、今回私が関わる事になった偕楽園のプロジェクト、喜んでくれていているみたい。
  

  
大きな満月が昇る頃、ほどほどに疲れ帰ってくると娘が帰って来ていて、
母がリクエストしたらしいオムレツを作ってくれていた。
  
娘に夕飯を作ってもらうなんて!!こんな日が来るなんて!!
感激しながら 味が極端に薄くコショウの効いていない、自然養鶏の友からもらった卵だけやらたら存在感のあるオムレツを(笑)
美味しいと言いながら家族皆で食べた(笑)
  
娘と風呂に入り、延々とお喋りは続き、次は「モモクロの桃神祭DVD」を見せられて(笑)私は娘のこういうセンス大好き モモクロ桃神祭大好き(笑)
やたら長い一日がおわる頃には、この数日の大変さ全て、忘れていた(笑)
  
  
今朝、19日に友人がつくって置いていってくれたカレーや鍋の残りを見て、
自分が友に、どれだけ助けられているかを思った。
じんわりと泣けてくる。
  
安心で美味しい食べ物があって、
私が何をしなくても今日一日をサポートしてくれる。
  

  
無理せずに生きていく。
自分が自分を許し受け入れ、もっと透明で気持ち良いエネルギーで動いて行く。
その為に、沢山の無理する習慣を、一つ一つ意識的にそぎ落としていこう。