ひいちゃんへ
本当は、飲みながら話したかったこと、
伝わるかどうか、
聞いてほしい事があるんだ。

最初は人格の話。

  
悟りを開いた人でも、人間なんだ。
それは、どんな人でも、この世に生まれてきたからには。
  
悟りって、今に居続ける事が出来るようになるってこと。
感覚全開なまま生きれるってこと。
それは、とても気持ちがいいし、誰が見ても、美しい。

何をするにしても、必要がぐんぐん引き寄せられていき、絶対的に有利だ。

悟るに越したことはない。

でもね、
悟った人が他の人より秀でているということはない。
ただ、今に居続けられるコツを掴んだということに過ぎないんだ。

今に居るって、命本来の姿、基本でもあるけれども、
現代社会では、感覚を閉じなければ生きていけなかったかも知れない。
生まれた時から、強い力で、強制的に教育される。
この過程で、感覚を閉じる事を覚える。そもそも最も身近な親が、今に居ないから、模倣しようがない。
今に生きている子供達は年齢が上がるにつれて、思考に曇る様になり、今に居られなくなる。

でもね、
そんな人生の中で、試行錯誤しながら、沢山の素晴らしい物事を積み上げたり、人間性を磨いたり、立派な人もいるし、
立派に見えなくても、どんな強い癖のある人でも、そうならざるおえなかった成育歴や、その人の歩んだ道を垣間見る事が出来れば、
本当に一人一人がとてつもなく愛おしいよ。

悟った人は輝いていて、皆から尊敬される。
でも、普通の人でも、悟人以上に徳のある方は、沢山いるんだよ。
悟り人の元に集まる沢山の教えを乞う人達の中に、悟り人よりも教え導く事が上手い人はいるんだよ。


霊格の話。


例えばユタに関して言えば、
どんなユタも、ユタを名乗るからには、通過儀礼がある。
何故なら、この世界は独特だ。
この地球の現代社会に関わるからには、この世界の悲惨さを知らずに、人を導く事は出来ない。
相談者の気持ちに寄り添えなければ、どんな神憑りも、意味をなさない。
だから、神を通す人はどんな人も、悲惨な成育歴、又は、生き死にの狭間を通過する。

これからの時代の子達は、もしかしたらそんな必要もなく、多くの子がそういう能力を当たり前に持っているのかも知れないけれど、


通過儀礼、又は悲惨な成育歴を持つ人は、必ずしもその事を乗り越えていない人も多く居る。
クライアントを依存させる人は、この事を乗り越えていない人だ。

  
人には皆癖がある。良い悪いではなく、相性や、付き合い方なんだと思う。
悲惨な歴史の中で、それを力に出来るまで自分を仕上げる事って、至難の業だ。その事を、忘れないでほしい。
乗り越えている事だけが価値があるわけじゃない。その過程であっても、生きていかなきゃならないし、それだけで、凄い事だと思う。

相手を責めるのは簡単だ。でも、皆、一生懸命生きてる。
  
神憑りの質も、霊感も、人の数だけある。
  
ひいちゃん、
この世界は単純に一くくりに出来るものではない。
人の人生が誰一人同じでない様に、神憑りも霊感もユタ神と一くくりには出来ない。
人は多様で、
人は皆弱い。

自分を良く見せようとする人の言葉の裏には、何があるかわかる?
自分に、言い聞かせているんだよ。
自分を信じている人は、良く見せる為の言動は思いつかない。それを発する必要がないんだ。
自信がなかったり、偽っている人は、華美を求める。
私も自分がいいことを言いたくなる時って、そういう時だ(笑)自分に言い聞かせる必要のある時。

それは良い悪いではない。

ただ、そういう気持ちの揺れを見て行ければ、自分への自覚を高めて軌道修正もし易くなる。

○さんが生きて来た独特の経験、背景は、

他人に容易く理解されるものではないと思う。
でもね、
本当は、
沢山理解者がいる。
心を開けば、沢山仲間がいる。

でも、あの人は拒んだんだよ。
  
あの人は孤独だ。
何故なら、
あの人は疑心暗鬼を持っているから。
○さんは人間だよ。
私達と同じ弱い人間。
そこのところは、私は大事にしたいところなんだ。


私には、エンパス系の友がいる。身近に2人、少し遠くて3人、遠くには沢山いる、育ての親も2人エンパスだ。
命を助けてくれた人もいる。
皆、凄い感覚の持ち主だ。
師には悟人も8人程いる。プロの仕事中だけは今に居て、普段は普通の人もいる。
霊能者、写真家、能楽師、農業者、ヒーラー、治療者、教育者、整体師
皆、一流の感覚の持ち主。

でも、どこにも完璧な人はいない。
  
私は、自分の難しさ、判らなさを統率したくて、どこかに私を教えてくれる人が居るのではないかと、
それこそ一時期は死にもの狂いで求めてきた時代がある。お金も労力も時間もこのことには代えられなかった。
勿論普通の人にも、沢山世話になった。
  
私が受けた公教育は、優劣の序列式価値観だったけど、
世間には、仕事のクオリティ、生への真摯さに違いはあっても、

優劣なんてなかった。

 
彼らに育てられて、私は生きている。
  
  
○さんが見ている世界は、○さんだけのものなんだよ。
貴方が見ている世界は貴方だけのもの。
  
シェアしあうのは素敵なことだ。でも、それが事実だ、本物だと言う時には、注意しなければならない。
  
事実も、本物も、一人一人に違う。
本当の事って、一つだと言うけれども、
個々にとって、本当は違う。
万人受けしやすい表現は出来ても、真実を表現しようとしたら、10人十色になる。
 
  
○さんを悪く言うつもりはないよ。
でも、

私が気になるのは、
魔に入られるという表現。


確かに、見えない世界ってある。エネルギーが像を結んで、姿を現す。
それは愉快だ。豊だ。
見えたら、世界はもっと広がる。

でも、もう一つの側面として、
人は、信じているものがその人の世界を形創る。
特に見えない世界を見て生きている人に注意が必要なのは、
信じて疑わないものは見えるのだという事。

私だって友を守るって思った時に、疑いもなく雷を払った。

遠くの方まで飛んで行った。色々あってね、生霊問題が絡んでいて、
でも、それが、払うべきものだったかどうかは(笑)
後から色んな説も出て来て、友も交えて沢山検証したけれど、

結局今でも判らないんだ。

疑心暗鬼は、そのエネルギーに見合う者達を引き寄せる。
○さんは、自分の生み出したものと戦っていて、
自分が許したら消えていった。
そういう事なんだと、私は思うんだ。

魔に囚われるのは、魔に憑りつかれるのと同じだと思うけれども、相手のせいじゃない、自分が囚われているんだよ。

誰かにそうさせられたと言うのは、簡単で楽だ。
確かにそういう力はあると思う。

でも、基本的には、
それは、誰かのせいにした時に表れるのではと思っている。

そういう見方でみていくのが、一番有効だった。

  

私もエラそうに言ってても、まだまだ、やってしまう。

疑心暗鬼も、太刀打ちできない巨大な力に打ちひしがれた時も、

世の中を恨み、人間社会のひどさに呆れかえり、

社会のせい、巨大な利権システムのせいにする。


でも、何で、どの時代、どこの星に行くも自由なのに、この時代、この管理社会の日本に居るのさ、

皆、自分のカルマ、自分の人生なんだ。
それを引き受けた人だけが、自由になれる。
  
自分に向って来るあらゆる物事を、自分事として受け入れる事が、本当の自分の力になるんだと、思っている。




そうして、もう一つ、

魔の話。


闇は、この世の仕組みです。

陰陽、二つの力が限りなく繊細に緻密に細分化されてこの世界に調和の花を咲かせている。
これが、闇の正体。

私達は、この美しい世界を見たくて、経験したくて、闇を作った。
光の繊細な濃淡、物質の繊細な組み合わせ、この世界の草木や動物、人の心までも、闇という素材を取り入れた事で初めて作ることが可能になった。

私は、何も無いあったかな場所で一つの塊だった時を覚えている。
それは絶対的な安心感だった。
これが、一つであるということなんだと思う。

でも、
そこから出てまでも、
こんなに美しい地球という世界を、
作りたかったんだと思う。
その為に闇を必要とした。

  
闇と魔は同じではないけれど、

よく、混同される。

  

魔は、ずっと新しい存在だと思う。

魔は、元々ないんだよ。
魔は、かなり後付けなんだ。
多様性の為に、必要とされてつくり出されたもので、
必要なら現れ、
不要であれば一瞬で消えていく。

魔のせいにしないではいられない時もある。

彼らは悪さをする為に存在するのではなく、必要があってつくり出された。
魔が必要な時って、
何かのせいにしたい時ってある。

ね。そうでしょう?

どう生きるか、際限なく自由。

この世界の矛盾も、
自分がどう生きるか腹を決めれば、
後は勝手についてくる。

外的要因は、
自分の生き方を豊にする。そういうものだ。
  
カルマは、
あてがわれたものは、引き受けなければならない。
それは、祖先たちも、そうやって、子孫に清らかな時代を手渡そうと頑張ってくれた人が沢山いる。
そういうお陰様に守られている。

私達は、生きているだけで、
過去からも、未来からも支援され、
沢山の存在に見守られて、
喜怒哀楽を、充分表現出来る今を、いただいている。


この話は、私一個人の見解ね、
私はね、そう思うんだ。




ひいちゃん。幸せであれ。