地域座談会で、一定の成果が出た途端、
地域の人達の私を見る目が変わった。

私の世話をしてくれた人が昔農業委員をしていたりした地域のキーパーソンで、
それを知った地域の若い役職者の、手の平を返した様な反応にびっくりした。

誘った時は逃げる様に離れた人が、声をかけてくるし。
あからさま過ぎる・・・

そんなことにブーたれていたら、母が、当たり前でしょう!人はそういうところで判断するんだよ!
それ以外で、何で判断するの?と
う~ん

今回のことで、誰がどんな人なのか、とても見えてきた。

一番大変な時に実際に盾になって動いてくれた人を大事にし、

いつか恩返しをする為に頑張る。
それだって、何かって言えば、相手の社会的地位に助けられたんじゃないか。

ひやかしている調子の良い人も、
可愛がるふりをする人も、沢山いる。
実際は助けてくれなくても、とても対面はいい顔してくれる。
中身なんて必要ない。そんなこと求めない。無視されるよりはずっといい。

田舎に住んだら、
近所の人と当たり障りのないところでどれだけ楽しめるかが大事。
もっと大らかでないと

そして、自分がのびのび生きて目的を果たせる様に
地域の中の自分の立ち位置を、大きくつくり込む。

ルールは単純だ。昔散々反抗してきた世間体というやつ。

それ以上に愛嬌。

そういうもので自分をくるめばいいのだ。



何と言ってもらっても構いません。
この窮屈な事に左右される自分を嫌がりながらも、

目的の為に そこに自分を投じている。
習慣ずいて、抜けなくなったそんな判断基準に人柄を見られて、それでも、そんな自分を生きていく。
そんな人は沢山いる。

 

正義感で力を跳ね除けようとして潰された恩師がいた。

そこに頑張らずに はいはいと言う事聞いたふりをして、

のらりくらりかわした恩師の方が、結局最後まで残って私達を助けてくれた。


体裁に何より頑張って地位を築いた人。自分がその基準で切られて、悔しくて最低な奴って思う時もあるけど、本当はわかっている。

私も、言い訳し放題のところは ろそろ締めてかからないと、ヤバいかな。

父も、地域での役をコツコツやってきて、自分が地域でモノが言える一定の地位を獲得することで、家族を、特に私を助けてくれている。
チラシをまいた時も、私は出来るだけ人と直接話て渡したけど、

皆、神永さんの娘さんであれば、いつもお世話になってますと、

にこやかに対してくれた。

これは、私の今年のテーマでもある。

皆が頑張って築いているその社会的な対面。
私も形を早々に作る!

そうすれば、何をするのも、何倍も動きやすい。

そうして、自分が助けてもらったように自分が盾になれる力を付けて、娘たちの時代には、そんなことが人間性より大事になっている様な地域性を終わらせるんだ。


素直にそのまま生きて、家族の様にお互いを喜び合える未来を得られるんだら

今は、

動けるうちは、

なんだってやってやる。




 

ナルシスト全開♡

まだまだ

もっと行けるでしょ!

 

誰よりも、自分を見方につけて、

自由自在に動いてもらう。

 

下手さをスピードでカバーする

 

立派であるより、欲しいもの、

それは、本当の自分。

そこが出てこれなかったから躍起になってた。

でも、もうそろそろ、

その自分をちゃんと包み込んだ社会性を

整える事をしてかんと、

言い訳しないで社会に個として立つために。

 

見ていてわかっていて、どこまですり合わせられる?

二度と戻らない一瞬一瞬にトライし続け

幾重にも重ねて同時進行

 

 

全部未来に預けてんじゃないよ。

今だって充分味わえる

 

 

 

 

熟して、ぐずぐず、お酒になりかけのキウイ。

それが、超美味しいの!

 

どんな時も推移の途中でしょ。

ちゃんと見て気付く事が出来たら、価値が上がっていくんだ。

 

 

 

どんな有り方も、

それなりの味わいを、楽しめると思う。