何をやめて何を残すの。

散らかってしまった。
もう、何を掴んだらいいのか、わからない。
そういう時、仕切り直しして片付け始められる元気がほしい。

誰かにNOと言われることが、とてつもなくこたえる。

自分を好いてくれる人の輪に納まっていればいいのに、
何で出てきちゃったの?
そういうことを、考える時もある。

世界中の人間にNOと言われても、
たった一人に肯定されて、ずっとそれを信じられるなら などと、外側に求める自分を見ている。
そのたった一人とは、自分自身である必要があるのに、
元気がなくなってくると、何かにすがりたくなる。

今していることを、やりきる。
でも、
次は、
一旦全部、捨ててみようと思った。

一つ一つの貴重さを知ってるから捨てられなかった。
時間も、労力も、お金も、未来も、そこに宿る力を、捨てられない。

私は長い事、喋れなかったから、
人に伝えるツールが必要だった。
膨大な資料、
でも、津波でなくなったと思って、捨ててみようか。

多分自分を捨てるよりも、
そうできる方が周りにやさしいかな(笑)



地域循環プロジェクトのやり方を、変えようと思った。
私はもう、大きな自分には付き合い切れない。

大きな自分の後片付けをする小さな自分を、
もっと、大事にしたい。そう思っていた。



人生は実験だと言って、半自給自足で、愉快に自由を満喫してきた先輩が、
膨大な資料、書籍で家一つ潰して、自分はテントに寝泊まりして、
お年を召した時、老人ホームで働きはじめた。

担って行く事が自分を育て、やがて自分の次の生きる場所を、構築してくれることを、私は知っている。
それを捨てた人が、それなりの人生を歩むのを、それも、傍らで微笑んでいられるだろうか、
全て受け入れていける度量を持って、地域の柱を構築したい。
それは、
吹き飛んでしまいそうな自分を、他者の中に見るから、

私は、そこ ここに 居る。
どうか、自分を嫌いになりませんように。


敵を外側につくること。人は自分の内側の、受け入れられないものを、

外側に投影する。
分裂することが出来れば、自分は多分綺麗な部分だけを見て、

気持ちよく居られるかもしれない。

それよりも、統合する喜びを、選びたい。
嫌いたくないんだ、愛したい、
もっと、
全部との調和を喜びたい。

出会ったもの全てが、自分のもう一つの姿であることを、
もっと、味わいたい。

結局は、私は、そこに戻ってくる。

殺したい程憎んだ自分を、又許す旅に出て、
その為に出会う全てを、愛する事を、学ぶ。

そうして、結局は、

大きな自分がそうしたいと自分に課した、その現実構築に、
いつの間にか、戻っている。


 

 

静かに命の時が流れていて、
火に小枝を放り込みながら、筍を煮る父の側で、
水仙や、花びらを僅に残したスモモの新緑が揺れる中で、

今ここで、こうして老いた父と過ごす貴重な時。お喋りをしながら餅を焼いて、こういう日常が続いて行く為に、私は、壊されていくものを守りたかった。

子を抱えて、この橋から飛び降りれば楽になれると眺めていた夜から数年後には、

一緒に庭で秋刀魚を焼きながら美味しいねって、何だろう、他愛もないことが、幸せで、生きていて良かったと、
煙や焼き加減に四苦八苦しながら、何物にも代えがたい時間を、過ごした、

  

大好きな人達と、他愛もない時間を大切に出来る、

そんな時が皆にもあってほしかった。

毎日、地下鉄に飛び込む人がいる。

その中の一人は私であった。

それでも、社会は平然と走って行く。

何も、変わらずに


崩れた石垣の側で、

掘りかけた庭木の大穴の残る、雑然とした庭で、

それでも、

大切な人を大事に出来る時間さえあれば、

 

散らかっても、壊れても、

自然界は抱き込んでいくように、

気持がたっぷりと、時を満たしていければ、

 

人と、気持ちと、場と、

 

祖先と共に願った場所へ、流れていく流れを信じてくつろいで、

 

 

 


どうしたらいいのか、わからなくなった。
そんな時は、
とりあえず、そうなる前に自分が敷いたレールを辿る。


もう、自分には何も出来そうにないと思った一週間前。
ここから、
何の宛てもない一週間後に向って行く事が、
自滅することではないことぐらい、わかっている。

何があったって、最悪、講師と二人で御馳走食べてお喋り出来る時間を確保したっていいじゃない。

全部を、肯定して、
その先を見に行こうか。


よし!

大丈夫な自分をゲットした!!


では、行ってきます!!