娘が生まれて、私が試行錯誤して生きて来て、その向こうで、

両親が変わっていった。

   
今も、この2017後半から今日までは特に、とても変わってきている。

そこに、ほころぶ花の蕾が見える。


私は40年間言えなかった地域や私が愛するもの達への思いを、

この一年、父に伝えてきた。

  
時代の変化と、だから地域循環の必要性と、その為に何をするのか。
  

  
震災後、家に帰ってきた私、

私は何年も、何やら、やたら抱え込んで一生懸命やっていた。
私が何をしているのか、さっぱり判らなかった父。
けれどここにきて、父は理解し始めた。
 

太陽光発電乱開発の問題で、揺れ始めた地域に対して動きだした私の行動を、

最初はいぶかしんで、千恵にそんな暇はないだろうと、

時代なんだから仕方がないんだと言いながら、

段々には、地域の内部情報を話してくれるようになって、

それによってどれ程助けられたか。

  
  
この年末に私は言った。
父がずっと愚痴ってきた、母と、妹のこと。

父にとって、心に刺さったトゲだった。
その妹が、どれ程必死で生きて、今の立ち位置にいるのか、

子育てしながら独立してサロンを開いた彼女の頑張りを誇りに思えない事が大損だということを、

母の事も、
母がどんなに孤独の中で、たった一人で、この家でやってきたかも、

   
ずっと聞こえていた父の溜息と愚痴、今年に入って、ずっと少なくなった。
父の醸し出す空気が変わった。
母にも、優しくなった。

 

  

この一年の間に、していること一つ一つ伝えてきた小さな積み重ねは、

いつの間にか、父に、私への信頼を育ててくれていた。

それがあってはじめて、あの話は父に響いたのかも知れない。

 

父の側からは見えなかった立場からの話をしていけたこと、又父が、それを怒らずに聞けたこと、私達は間違いなく、新しい関係性を築き上げつつある。

  

  

父は、近所の知り合いから中古の小型トラクターを譲ってもらい、

又、周辺の不耕作地を借りてくれた。

しばらくは自分が使うのだと。

 

父にしか出来ない最大の協力を、私に負担のない形でしてくれて、

私の準備が整う時を待っていてくれている。

 

 





このお彼岸に、お墓参りで、共同墓地の全ての方々に、挨拶して回った。
地域をちゃんと一つの大家族にしていきたい。だから、御氏族の皆様によろしくお願いしますと。

  

アグリヒューチャージャパンへの業務委託で、県の教育ではかつてない程ハイクオリティで整えられた茨城県の女性農業者育成講座の約一年間のコース。

その講師の縁で、希望者が松下政経塾に行ける事になった。

    

前の晩、酷い嵐だったけれど、

当日はすっと引いた、静かな一日だった。
檀上で趣意書を発表した。

  
その自分は、全く整っていなくて、

何度深呼吸しても、相変わらず中途半端な仕切り直しではどうにもならない心の窮屈さにがっかり。

 
ちゃんと一度、深く声を通してからやれば良かったのかも知れない。
でも、それって、場を鋭く切ってしまうし、違う意識に入ってしまうから、反則というか(笑)何をしでかすか判らない躊躇があって、しなかった。
行きのタクシー内で、県の担当職員さんに釘をさされたし(笑)
 
大きなエネルギーを、すっと自然に回せる自分が一瞬先には、あたかも別人の様に使えない。力に巻かれて潰れる事の繰り返しで、
 
心底、自由に自分を生きたい。
まだまだこんなんじゃない自分を、どうやってか引き出して、この世界に本当の自分の広がりを許される場所を作っていく。

 

    
去年から動く兆しが見え始めた自分の有り方、
まだ、揺らぐ。
これが何に由来しているのか、何となくわかってきた。
それが例え、自分の力ではどうにもならないとしても、

状況にしがみつかずに、流れを信頼する。
運ばれる先の有り方が不本意であったとしても、受け入れられる自分を目指す。
何度でも、そこにトライ。

  
さっきまで里美で騒いていたらしい、友が言っていた雷が下りてきて、

今この世矢に来ている。

久しぶりの響き。綺麗な振動が辺り中を揺らす。

時が明けていく。