祖母はいつも言っていた。
御祖母さんなんか死んじまえばいいと思っているだろうって。

大嫌いだった。
自分の事ばかりに目を向けさせて、
こちらがどんな気持ちになるか考えない。
父も、何も考えずに同じ事をやる。


当人の祖母自体が、
辛かったんだよね。
どうにもならなかったんだよね。
本当は甘えたかったんだね。


自分は判っているから、出来ないんだ。これ以上傷つけないでくれと、

言っていたのか。

  
嫌がる事で遠ざかっていたかったけれども、
逆なんだ。
嫌がることで、それが身の内にあることを、知らせている。
そこを見て、愛してほしいと、

それは、一種の憑依とも言えるかも知れない。
どんな形の憑依でも、
自分事として消化し、昇華していけると、思うんだ。


反応する。
その心癖の習慣を移し、私はやってしまっていたんだな。
いつでも、
自分を否定することで、それ以上気持ちがそこに希望を描くのを止めようとする。
大人の分別を、未熟な心に強要する為に、


お母さん
お父さん
お祖母さん
お祖父さん

不器用な人達。

愛されたくて、
でも、望めなくて、
目の前に居る大好きな人に、
ぶつけて、
どうして上手くいかないのか、
判らなかった。

彼らなりの頑張り、
彼らなりの辛抱、
そして諦め。


望まれて、手をかけられて、
皆が、期待した、私が、それを分るの?

何年も父が手を引いてくれて通った東京の病院。

千恵が一番お金かけたんだぞ、
そう言われた思春期の頃は負担でしかなかった。

でも、千恵が一番可愛かったんだって、
入院中、誰とでもすぐ友達になって、
あんな事になっても、いつもニコニコして無邪気で、
最近、ぽつりと、そんな事を話してくれた。
  
  

あの時代に、かけたお金は、そのまま愛情の大きさでもあったんだよね。
毎日毎日体で稼いで、育ててくれたんだよ。

大人達の誰一人だって、私程、大事にされた人はいない。

私はずっと、細やかに、大人達を見て来た。
それを、家族はちゃんと、感じ取っていたんだ。

お祖母さんには、私しかいなかった。
お父さんには、私しかいなかった。
心のよりどころだった。

どこかで判っていたはずなのに、
いつからだろう、愛されてたこと、全く信じなくなった。




私は、
今でも、
この信頼というものが判らなくて、
どれ程揺れても、
終わりがないかのよう。

でも、自分事だけじゃない、最近、これで今まで沢山人を傷つけてきたということが、少しずつ、見えてきた。


本当に、私には信頼が分らないんだろうか、

ここに何があるのか知りたい。
  
  
  

亡くなったお祖父さん、お祖母さん、
今まで、一番私が理解していると思ってきた。
これ以上譲歩する必要はないと、
私はよくやったと、思ってきた。
私なりに二人の価値を認めていると、
  
でも、亡くなって20年、今日はじめて、

もっと、大事にしてあげれば良かった。

そんな気持ちになった。

いや、もっと幼い頃、こんな気持ち、覚えがある。


私は信頼する事を知らなかった。
その方が都合がよかった。

何故なら、


何故なら、人のせいに出来るから。



 
2歳、保育園に入り、三歳で幼稚園に入った。
外の世界に出て、色々覚えてきて、
家の中で当たり前だった習慣、習癖の意味合いが変わってくる。

誰にも言えないできた不満を初めて、いつも一緒に遊んでた友達に話してみた。
祖母が母の悪口を言うから嫌いなんだと、

友は、悪気は無かったのだ。
ただ、子供心に胸を痛めて、祖母に言った。
千恵ちゃんに嫌われて おばあちゃん可愛そうだと。

自分はいつもそうしているくせに、他人から自分の悪評を聞かされるなんて、
それは祖母が一番嫌う事だった。

祖母は私に、もう、私の事は信用できないと、この事を一生覚えていると言った。

お蔭で私も、この時の事を一生忘れられないだろう。

私はこのエピソードを、彼女がどんなに酷い人だったのかと思う為に使ってきた。
私の問題を彼女のせいにするために。

私はその時の事がずっとひっかかっている。それはトラウマだと思ってきた。
お蔭で私は人を信じられない。

人の心は、ほんの僅な時間の中でも、何事かあって、あっさり反転してしまう。
そして、それは長い不幸の始まりだったりする。
そんな思い癖がある。

でも、
もしかしたら、

違う意味で、引っかかっていたんじゃないか?

何か、大切なものを、忘れていると、


私はどこかで判っていたんだ。
  
祖母は、私が可愛かった。
私より幼い情緒で、私を心のよりどころにしていた。

私に裏切られるなんて何よりショックだったんだ。


でも、そんな彼女の気持を思いやる事を、その頃の私は、もう、辞めていた。

ただ、私の事をもっと見てほしかった。
こんなの理不尽だと、つき付けたかった、

だって、大人達はいつだってそうしていた。
こんなことが出来ないなんて、おかしいんだよ、オカシイと思いなさい、さっさと聞き分けなさいと、言わんばかりに、
子供達を急かし、付き従わせた。

そのやり方をそっくり身の内に内在化させて、

報復だったのかも知れない。

  
  

私は、
最初から立ち位置が違かった。

ずっと、家族を見て来た。
心を寄せて、包み込んできた。
 
あの家に生まれた私は、
生まれた時から、何だかんだ言っても、その実、あの家の中心だった。

その感覚を知っている。

  
   
明るくて優しい叔母の所に行きたくて、道を覚えた。

叔母の家の子になりたかった。
三歳の時だった。一㌔先で、車ではすぐだったから、一人で歩いて行ってみた。
思ったより遠いという事を感じていた。

幼稚園を逃げ出した時も、
それだって、私は逃げるなんて思わない。単純に嫌だから帰ったんだ。

 
幼稚園に通うようになって、本来持っていた大きな目をつむり、
大人達がやっていることを真似ていった。
自分を信じる事を辞め、
人のいう事に左右されることをしはじめた。

心の中ではそう思っていなくても、相手に合せれば、ずっと過ごしやすくなった。
母の様に、高いよそ行きの声を出して繕ったみたり、そんなことが、面白かった。


大人の理解の無い様も、大人の習慣も、
理不尽な事だと思うよりは、自分が悪いと思う方が、なんぼか、楽だという事を、怒られた時に自分が採る行動を変えてみて知った。
  
理不尽さに対し、息が出来ない程泣いた赤子が、
そんなこと全部飲み込むことで、どれだけ、長い長い一日が過ごしやすくなるか。
私は学んでいった。
身の内に入ったものをそのまま出して見る時の、得意な感覚、
好きな歌を覚える様に吸収して、何もかもそのままコピーしていく。
そっくりに出来る。
それは、面白かった。

私は、最初こそ、何でも、分っていてやっていた。
 

いつからか、
私は、大人達を真似て、社会通念に合せる事で、親が私に見ていた光を、消した。

報復だったんだろうか?

貴方たちの姿を見せてあげると、
何だろう、
その感覚を、知っている。

どんなに馬鹿らしいか見ればいい。
全部見せてあげる

何だろう、この感覚知っている。

見せたかった。
彼らの愚かさを、
そうして、そこから
別の道があることをも、見せたかった。

身の内に取り込んでいくことは、相手を映していくことは、
愛でもあるはずだ。
私は、そんな風に世界を愛したんだ。

私にはその道しかなかった。

  
やがて、それが、自分の意思でコントロール出来なくなる。
身に着けた仮面の、それが自分なのだとするしか、どうしょうもなくなった。

深く、深く、どこまでもカルマの渦。

それを、
悪いとは思わない。

必要なら、やらなければならないだろう。それが、出来て良かった。
訳も判らずいつ終わるとも知れない耐えるということを、ただひたすら、自分は 

よく、やってくれたと思う。



  
  
何度も
何度も、
ハッとする。
何かが近づいている。


大気はとこまでも透明に澄んで、静か。
時の質が、流れの色が、世界の匂いが変わっていく。

地震、噴火、雪、世間の混乱に全く気付かずに居た。

毎日バタバタ、間に合わない間に合わないとキュウキュウこなしながら

あれ?
世界を信頼するんじゃなかったっけ?
なるようにしかならんだろ?今更どんなスーパーマンになれるってのさ、
そんなに苦しまんでいいよと、腹に戻る。

里美から筑波まで、さすがに寝ないでぶっ通し仕事の末では、
眠くて辛い、
あれ?私って、いつでも無敵になれるんじゃなかったっけ?

ああ、憑代やるか、腹に居て本体にもどればいいんだっけ。
戻ってこい神器

腹から声を出して見る。
そうしながら、

私は、
自分が今、本当はどういう気持ちなのか、知ってしまう。

腹の中から、
その響きに揺らされてでてくる気持ちに、身を委ねて、

理由を考えるよりも、

そのままの気持ちを、ただ、流して、自分と共に、居てあげたい。