農家は、
昔の神永家は、家の隅々まで片付いていた。
誰が来ても、家の奥まで見えても問題ない。
誰が使ってもいい様になっていた。
何処に何があるか、又、そういう状態を保つ為に手入れがなされ、
暦に基づく暮しの仕事があった。

それは、言うなれば、裏表がない様を、表していた。

ああ、裏表が無かったから、あんなに粗野で、きつく感じられたんだ。
中を全部、風が通っていった。

田舎って、そうだったのだ。
簡単に人の内面に入り込んでいくし、又、人に入ってこられても良かった。

自給自足、自己完結。そうして、空洞の家。
使う為に中を空ける。そぎ落としていく文化と、引き算の暮し方。


町の人間は、自己完結しようがない。
田舎から食料を調達し、会社で働き、小さな敷地で家のこととは言っても、数分で事足りる。
料理もどんどん簡略され、洗濯掃除も全部自動。
トイレも業者がくみ取ってくれる。

暮らしの中で、見えない部分を持つ。
それが、町での暮らしであり、現代人だと思う。

自分では出来ない事を他者にゆだねる為に、表と裏が出来たのかな。
  
一事が万事。
心も、体も、暮し方も。

食べ物のつくられ方、
加工され方、
体へ入った時の作用、

どこかに、見えない部分を持ちながら、私達はそれを当然のことの様にくらしてきたけれど、
本当にそれは、当然の事なのだろうか?
  
全部をお金で換算するのであれば、その向こう側が見えなければ。

 
けれども、電気は他国から燃料を買い、それを燃やして発電所を動かし、何百キロも遠くから運ばれて来たりする。
田舎に大きな発電所が出来、大きな送電線が通り、割に合わないどれだけの事が作りだされただろう。
ここで使うに至るまでに、数千年、数万年の未来まで続く借金をしている。

今、裏表を必要としない暮し方、人の在り方を模索している。
その為に、まず、自分の家の中を、誰が入っても良い様にかたずけようと思った(笑)
そういうことなのだ。

 

自分が、安心して人を、内側に迎え入れる事が出来る様になりたい。

自分がいつも空っぽで、使う時に自由に使える様になりたい。


暮し方がクリアになるまでには、社会的な事も絡み、一足飛びには行かないけれど、
それも私の目指すところ。




グリーンツーリズムで良くある話。ホストが、有るもの有るだけ与えて、世話をして、疲れてしまう。そこに、循環が起こらないから疲れてしまう。


対価としてのお金を払った時点で、完結してしまう関係もある。
お金でしか解決できないのであれば、それなりの生活水準の方々しか活用出来ない。
それは、とても割り切りやすく、合理的に見える。


昔の田舎の習慣の、最後まで人間と対する姿勢は、今では貴重なものではないか、それは、残していかなくていいのだろうか?

そこに、どう自分が納得出来る落としどころがあるのか、考えていた。

自然界に対して、人間の付き合い方は変わった。
今は神事も殆どなくなった。エネルギーとして環境に返さない。環境にあるものを取れるだけ取ってきた。
人が、お得感を求めて、もらえるものはもらえるだけもらう様に。

これは、子供の発想ではないか、

損得勘定なんて、本当は無いのだ。
世界は全部繋がっていて、やったことが帰ってくる。
相手は自分であり、相手を傷つければ必ず自分を傷める事になる。

ネイティブ達が引き継いできた暮らしの智慧は、
成熟した大人にならなければ生きていけないのではないかと思うぐらいに大きなカルマをつくってしまう現代人の未熟さを持ちながらも、
そこに落ちることなく安全に経過していける。
ある程度は、そんな指標が欲しい。

必要をいただき、それ以外は自然界にかえす。

担うもの責任はキチンと取る。
誰かがしなければいけないことは、自分の気持ちを脇に置いて、全体から必要を振り分ける。

戴く時にはそれなりの覚悟がいる。同じか、それ以上を返して行く覚悟。
それは、自然界が、相手が、何の見返りも求めずに自分を差し出す事への感謝の気持ちという名前の型。
型があれば、いずれ、その型に気持ちを入れていける。それが、先導してくれる。

だから未熟であっても、気持ちが無くても、そんなことには一々構わない。

 

現代では、気持ちが何より大事だと教わってきた。言ってる人達がどうなのよってところは置いておいても。

でも、

私はこの、型の文化を知って行く中で、

ああ、逆なんだ、

もっと、もっと、気持の有るなしさえも、包み込む程おおらかな文化であったのだと、思う様になった。


感謝は、人間が、この世界でカルマを後に残さずに生きていく為に身に着けた智慧ではないか。

多分、この型の先に、全くこんなことに頓着せずとも回る自然界と一体となって動ける境地があるに違いないんだけれど、

 

ひとまず私が先人から受け継いだのは、そういう事みたいだった。



私の田舎は何だったのか、
田舎と町の格差は何なのか、
今、失ったもの、
取り戻すもの、
自覚して、ここに新たに文化を、再構築する夢を、見ている。




母が、田舎に嫁いで、
全てが粗野で、人が人を平気で貶める。そう感じていた。
腹に納めておけない。全部ぶつけてこられる。
血も涙もない。思いやりの無い人達。
出来ない事を要求され、出来るまで言われ続け、私は女中ですか?
ひたすら耐えてきた。


くらしって、
くらしってね、日々こなしていく仕事の連続。
田舎は、くらしが仕事なんだ。
町の人は働きと余暇を分けて、お金で楽しませてもらう時間を買っていたね。
田舎では、お金より大切なものが沢山ある。
くらす為の力。体力であったり器用さであったり、感覚の鍛練であったり、
そうして経験と智慧。
それを切れ目ない暮らしの中で養い、又その循環を切らさず繫ぎ、

ああ、そんな日々の中に喜びを見いだせなかったら、生きていけない。
母の手を繫いで、一緒に歩いてくれるはずの人は、一体どうしたって言うの?
伴侶である彼も、あまりにもの感性の違い、価値基準の違いに、途方にくれていた。

向き合えずに、少なくとも40年。
私が生まれて、両親を見て来た時間、たっぷりかけて、
それでも、遅すぎるなんて言わない。いいよ、いいよ。私が見ているから。
父は、優しいが故に、自分が譲歩しているつもりで、損ばかりしていると思っていた。

別の視点を知るには、余裕が無さ過ぎたんだね。でも、ゆっくりと変わっていった心持ち、私が知ってる。


母には、考えられなかった。
自分は一人の人間であると思っていた。自分の行動は、自分で決められると思っていた。
でも、全部、決まった通りに出来る様に要求され、自分の好きにふるまう時間等、ないのだと、それが当たり前なのだと突きつけられる。
お金も時間もなく、化粧もしなくて良いと言われ、
一体何が楽しくて生きているんだろう。

彼女には、出来なかった。
そもそも、そこに価値を見いだせなかった。
高度経済成長期、JA出荷の、このダンボールいっぱいのじゃが芋をつくるのに、どれだけ働かなければならないのか、
そんなバカバカしい事、やっている人達は、それ以外知らないからやっているのだ。外の世界を知らないのだ。馬鹿なのだと、

まあ、JA出荷が安過ぎの問題はともかく、
切れ目なく繋いでいく循環の輪。
それによって、戦争や社会情勢に振り回される時代を、祖父母は、家族を守りながら全部、超えてきたんだよ。
足元を耕す。それが一番の保険でもあった。
社会に出て稼ぎ、自由に使えるお金をもらえる暮し方を知ったばかりの20代の母には判らなかったかも知れない。
人が生きて命を繫いできた事の長い歴史の創意工夫。そこに、幾重にも重なった先人達の思い。

でも、父親を早くに失くした母が、苦労した幼い頃からずっと欲しかったのは、守られた暖かい家庭だった。
その中で、安心してふざけて笑っていたかった。
歴史も、先人も、地球も、そんな事、知ったこっちゃない。

そんな、人として当たり前の望みを、それさえも、私は受け継ぎ、ないがしろにしてはいけないと、私の人生そのものに、言われ続けてきた。
待っていてね。いつか全部、ここに開花させてあげる。貴方が生きているうちに出来なきゃね。


先人達がコツコツ守ってきたものが解禁された時代。
社会が浮き足立って、その間に、様々な宝が消えていった。

日本の通貨であった金も、
日本の、数代先を見越した、くらしながらの環境の手入れ、持続可能な共生技術も、
古来からの、神々との対話手段も。

そういう見方も出来る。
そうじゃない。
宝を世界と分かち合う時代の始まりだったと捉えてもいいんじゃない?
様々な視点から、様々な存在の立場から世界を捉えて、幾重にも重なる世界の厚みを味わえる時代の始まりだったと、


ここから、私に手渡されたもの、私がしていく事が、見えてくる。

祖父母、父母、そして私と娘。
生きている時間の中で先人を通し見せてもらってきたその向こうの風景。

ここから、私は、汲めども尽きぬ宝の泉の、水が湧き出でるさまを、見ている。



・・・

何を見てるんだか(笑)

 

幾重にも重なって映っているの。

どこに移ろうと見えるもの全部影です。

面白い(笑)

やばそうな、この生き物なに?

 

映っちゃってる!!