18年のワーク生活でも外れなかった人への恐怖感、緊張、
これに取り組むタイミングがついに来たのが、年明けの1/7。ワークに入った。

まだ見えて来ないうちに、内観からカタルシスに入る。

 

理屈は物語で衣。それが見えた方が人間界では楽しいけど、

今更そういうの、どうでもいいから。そこスルー。

  

さわりは、この世界で生まれたいくつかの悲しみが通っていった。
このエネルギーを見ながら、通るタイミングを上手く掴み、胸から無理やり通し切った。
衝動を追い、そこに動き始めたそのエネルギーを通す。
吐き出す方の力だった。
全部、通過しろって、私はこういうのはかなり乱暴に推し進める。
見えているうちに、このチャンスをやりきりたい。

結果、胸が筋肉痛(笑)

外れた。

  

人に対する強い緊張が、今、ほとんど感じられない。

  
片付いたかな?今度29日の事業プレゼンで、どれだけ外れたか、確認できる。楽しみ。

  

  
ワーク中、何度も、御神木の榎の切株が見えた。その切り口は濃いグレーにぼやけていた。

それは、72年に一度の、金砂大祭礼の時に担がれた御神体が、石名坂の榎本で休む際台座となる榎の、前回の切株だ。

実際のその場所は、すでに次回、72年後の台座の為の幼木が育ち、 切株等、跡形もないのに、
何故?私と関係があるのだろうか、何を物語っているのだろう。
  
榎本に行って探ってみたけれど、
やはり吐き出す方の力が自分の中に少し通る。しかし道路淵で交通が多くて集中出来ない。
お酒を買ってきて、土地にまいて終わりにした。
   
友に電話したら、自傷的感覚と、脇腹が気になるという話。腎臓の話になり、腎臓は、浄化だけでなく、酸素を出す機能があることを、昨日たまたまテレビで見たと言う。

  
木という存在の性質を見て、
何か関係ありそうだとは思いながらも、この件は、そのままになっている。