私は、大きな剣を故郷の天に突き立てて持っている。

その剣の周りを、御岩山の龍がぐるぐる回っていると、

友が以前、何度か教えてくれたことがあって、
水を沢山飲むといい、龍がぐるぐる気持ちよく遊べるからと、言うから、それから水を意識して飲むようになった。

はたしてそれに何の意味があるのか、
知りたいと思いながら、ずっと知れなかった。

この間、ユーチューブでカタカムナの講義を聞いていて、草なぎの剣が何をするものなのか、解き明かした様な内容につり込まれた。

カタカムナの十文字のところに現象界と潜象界を通過する一点があり、そこから出入りするとかなんとか・・・その十文字が、剣の突先らしい。
ああ、だから、私は潜象を現象界に引っ張り込んだり出来るのねと妙に納得して、風呂で、腹に力を入れて意図したら、剣が出た。
ああ、出るわ。そうか、こういう事は道具を使ってやるものなんだ。
使い方を覚えなきゃ。

そういう前談があって、
今日、友と、三種の神器の話をした。

剣と並び
勾玉 
鏡 
それぞれが何を表すのかと。

以前の職場、コミュニティの代表で、私達の師でもあるM氏の話をしていて、人の話を聞きながら、自分は下がっている居方が凄いという話、
自分をそこに置かず、又その事に全く気が付かれずにそこに鏡を置くんだと、相手が己と対話できるように。

 

これは、とても深い。もっと掘り下げていきたい話だ。

ここで鏡の使い方が出てきて、

次勾玉。

勾玉ってあの形ゾクゾクするって友が言って、
陰と陽。

現象と潜象で一つの球体になる形だから、片割れは、見えないんだってと、この間の講義の受け売りを言ったところで、
その相手あってこその形でありながら相手が見えない不安定さというか、
とてもそのままでは存在しえない儚いものがさらけ出されている形というか、そういう感覚に思い至った。

あれ?なにに使うのか何か掴んだ様だったのに忘れてしまった。

でもとにかく、

三種の神器は、特別な人のものではなく、誰もが内なるそれを意識的に取り出し使いこなせるんだと思った。


以上

忘れないうちに(半分は忘れたけど笑)ここにUP