こんばんは。
 

今日は、水門の荒代かきしてきた。
重い機械に振り回されながら、舵を取る。

腕に力が入らなくなってきても、馬じゃないんだから、加減なんて出来ない。
段々、やけくそになってくる。

  

いいよ。やれればやっただけ、自分を喜ばせてあげられる。

私は、
日常を幸せにしたいのに、
いつのまにか、自分を追い詰めて、何が楽しいのか、

 

今、
私は自分の甘えと対している。

 

私が欲しかったもの捨てずに全部手に入れる為に、
忙しい日常を選んだはずなのに、
段々適当になっていって、
タイムスケジュールも書かなくなった。
それでいて、あれもこれもは出来ないと愚痴って、パンを適当にし、農を適当にし、
自分を適当に甘やかしてきた。

  
言い訳が多くなれば、わかる。なのに、そこを見ないふりして、疲れたからのらりくらり、
回りも優しくて、体を壊すからもうやめなと言われると、つい、気が緩んでしまっていた。

  

アスリートは、どうしてる?
人と比べるのではなく、自分との約束を果たす為に、自分と戦うのでしょう。

そうやって、中途半端にやってて結局何も手に入らなくなった時には、どうするつもり?

  
自己責任って、
自分を責めて、そんな人生にしたいの?

  

又仕切り直し。

  
そのきっかけは、大好きな師だった。

想いっきり突き放されて、一昨日も、昨日も、今日も、何度も何度も、師が何を言っているのか考えた。

  
事業の話を相談しようとしたら、師は言った。
本当にそう思っているのかと、

  
私は、本当は、何もやりたくないと言った。遊んでいたい。のんびりしたい。唄って踊っていたい。
そんな事言って、何になるんだろう、人生から逃げられる訳ではないのに、
それでも、本音を言った事を喜んでくれて、
意味が解らなかった。

   

そうして、自分が、何をしているのか見えてきた。

  

どうしたいの?
その為にどうするの?

 

私は、自分で選んでいるんだよ?
やりたくないならやらなくていい。
さっさといい男つかまえて家を出て自由に人生を謳歌すればいいと言われていた。
なのに私は、自分の大事なものを守りたいと言った。

 

  
どれだけ腹をくくれるかなんだ。
自分の人生に。

  

大事な人達と自分の人生天秤にかけて、大事な人達を選択して、
いつか、人のせいにするのではないの?

   

優しさ、思いやり、よいこであること、皆が望む事、

この選択は、世間のどんな物差しも、使えない。

   

自分の人生に責任持てない人間がどれ程迷惑か、ずっと、愚痴を聞いて育ち、嫌という程わかっていたはずなのに、

私は、甘えていた。

   
よい子の選択をすれば、皆喜んでくれる。
そのぬくもりの環境から、出たくなかった。

   

私は、私のずたボロだった家庭を、本当にコツコツ辛抱しながら、家族に作り上げてきた。
ようやく手に入れた家族なんだ。
失うなんて、何で、考えられたろう。

土地も、いつでも支えてくれる。

宝物のあの場所を、

愛されているのがわかる私以外の誰が、大事に出来る?

 

捨てられない。

それは病なのだろうか?

 

  

何度でも仕切り直ししよう。

  

本当に欲しいものを全部取りたかったら、
死にもの狂いでやるしかないでしょう。当たり前でしょう。

誰がそんな事、やろうと思う?

皆出来ないから、どちらかを選択しているのに、

私は、自分が何を望んだか、わかっているの?

  
その現実を、ちゃんと見て、

  

私は、諦めない。
どうせ、私は諦められない。
ならば、

  
絶対に、後悔させないように、
頑張ってくれよ。

そして、その選択を、いつも喜んでいてくれ。

 

   

もう、自分を悲しませないでくれ。